個人や企業から寄付で集めた食品を経済的に困窮している人らに無償提供するフードバンクが苦境に立たされている。物価の高騰などで十分な食品を確保できず、活動に支障が出ており、支援に乗り出す動きも出てきた。と10月5日の読売(金来弘美記者)が伝えている。
その要因は、個人は物価高により、生活に余裕がなく、企業は在庫を減らす調整で、寄付にまわせるものが減っているとはNPO法人フードバンク仙台の理事川久保尭弘さんだ。
農林水産省によれば、国内のフードバンクは年々増え、10月1日時点で278。
支援を強化する動きとして、長野県では、2022年、「県フードサポートセンター(ふーさぽ)を設立。フードバンクへの寄付が乏しい時の食料購入費や配送費などを県が負担することになった。
農水省は9月、政府備蓄米無償交付の運用を改めた。申し込みを通年、窓口を全都道府県に拡充した。
消費者庁は寄付を促すため指針作りを始めた。
欧米には寄付や団体の活動を円滑に進めるための仕組みがある。
米国では善意で提供された食品の自己責任は問わない。「善きサマリア人の法」が施行されている。
イタリアでは食品廃棄規制法で関連事業者が余剰食品を寄付する場合、税制上の優遇措置を受けられる。
善意というものは価値のあることで、住みよい社会には人々の善意がしばしばみられるものだ。
小さな親切運動が公益法人化され、「小さな親切」運動本部というのがあるくらいである。
戦災から戦後、人々の努力で復興を成し遂げ、70年代の一時期は1億総中流ということで、誰しもが自分は中流かなという意識を持つことができた時代があった。
しかし、派遣労働が導入され、労働者が非正規雇用化されるや、わが国で戦後間もなくの時代に遡ってしまったかのように貧富の格差が大きな社会問題となり、シングルマザーなどの家庭の子どもが貧困で学校給食だけが頼りというおかしな時代がやってきた。
見かねた心ある人たちが立ち上がり子ども食堂を作り、子どもたちに食べられる機会をつくってくれた。
子どもたちだけでなく、貧困家庭に食料を寄付するフードバンクも設置されたのである。
本来は、政治がやるべきことであるはずだが、現実に困っている人がいて、政治がやろうとしない以上、誰かがやるよりないわけである。
善意というものは、自分一人でもできることではあるが、皆で力を合わせることで、大きな力にすることができるものだ。
利益追求のためにあるのが企業であるが、同時に企業には社会的責任というものがついてまわる。
その企業が余剰食料をフードバンクに寄付したら、税制上の優遇を受けられるのもまた当然のことだ。
さらに、余剰食料であるから、万が一事故が遭ったとき、その責任を問われないということもまたとても重要なことである。
学校給食の関係者から小耳にはさんだ夏休みとか学校が休みの時、ふだん、昼の給食で食いつないできた子どもが食べられなくなると知り、「えっ!」と驚かされた。
語り継ぐ戦争では、戦後の食料不足の時代、孤児たちが生き延びるために必死で食料を手にしようとしたことを書いた。
物価高で個人の寄付が減った。企業の在庫調整で寄付が減った。
こういうことは、TVがもっととりあげるべきことだ。
2024年10月09日
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