NHKクローズアップ現代 終わらない戦争(2) 「“生きていることが疎ましい” 知られざる戦渦の中絶」を視聴することができたので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。
「旧満州などで性暴力に遭い引き揚げた女性たちは、国立病院などで中絶手術を受けた。今回、関係者70人以上を取材。人道目的で自発的に始まった手術を国が組織化し、「外国人の血は本土に入れまい」と「混血児の出生を防ぐ水際対策」になっていた。「身も心もきれいになった」とされた当事者たち。実際には「生きていることが疎ましかった」と職も故郷も捨て、壮絶な戦後を送った女性が。戦争と性暴力、顧みられなかった実相に迫る」と㏋にあった。
クローズアップ現代取材ノート「戦禍の中絶 埋もれてきた当事者たちの“声”」も視聴したかったが、まだ視聴できていない。
「終戦後、旧満州などの占領地から引き揚げる際、性暴力を受け妊娠した女性たちがいました。日本に戻ると、各地の国立病院などで、当時は原則違法とされていた中絶手術を受けます。「人道的な目的」「中絶以外の選択肢はなかった」などとされ、当事者の声はほとんど顧みられてきませんでした。今回の取材によって、少しずつ見えてきた女性たちの葛藤とは」とこちらも㏋にある。
上坪隆『水子の譜 引揚孤児と犯された女たちの記録 昭和史の記録』(現代史出版会 徳間書店)、奥付に1979年と書いてあるが、80年代前半に買い求めて読んだことが契機となって、戦時中の性暴力ということに関心をもつようになった。
もともと、人身売買、管理売春に反対の立場だったこともあり、自由を奪う性暴力、自由を奪われる性暴力に怒りを抱いていた。
五味川純平『人間の條件』(三一書房)が語り継ぐ戦争という立場に立つバイブルだとすれば、上坪隆『水子の譜』はそのバイブルを補う教材だと言ってもいい。
旧満州や朝鮮半島などでソ連兵や中国人、朝鮮人に性的暴行され、生憎妊娠したり、梅毒に感染した女性たちが引き揚げた博多港。中絶手術や治療をしたのが大宰府天満宮に近い二日市の保養所で、80年代前半から幾星霜、2009年8月に水子の供養に行くことができるとは本を読んだ当時、思いもよらないことだった。
番組で紹介されていた水子地蔵であるが、母子地蔵と呼んだ方が的を得ていると思う。
お参りした時、ビスコの箱がお供えしてあり、その後、ビスコを見ると母子地蔵を思い出す。
二日市での中絶のことは『水子の譜』で理解できたが、引き揚げの港は博多だけでなく、佐世保や、山口県長門市の仙崎港、そして、舞鶴港に引き揚げているから、博多以外の港の近くでも同じことが行われていたはずだと考えていた。
博多は二日市だけでなく、国立福岡療養所、九大、久留米医専の各病院。佐世保港は佐賀の元陸軍病院中原療養所、仙崎港は国立福山病院で、舞鶴港は国立舞鶴病院で行われていたらしいことが放送でわかったことで長年の疑問が解けた。
記録を残すなという国からの指示があり、正確なことは伝わりにくいが、中絶をしたのは2000人という説もある。
舞鶴には引揚記念館があり、2013年10月に行っているので、この時、もう少し調べればと悔いが残る。佐世保には浦頭引揚記念資料館があり、まだ行っていないので、できれば行ってみたいが、コロナ禍ですっかり衰えてしまったことが残念でならない。
戦時下での性暴力に限らないが、性暴力の結果を受け止めるのは女性で、生憎、妊娠してしまえば、産むにしろ、中絶するにしろ、その責任はすべて女性が背負わされてしまう。
若い頃は、ソ連兵の子どもなど中絶するのが当たり前だと考えていたが、後期高齢者になって、ゴールの近さを自覚すると、理由はどうであれ、子どもに罪があるでなし、ほかにも選択肢があったかもしれないと思うようになった。
2024年08月30日
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