敗戦の日を終戦の日と自分たちの都合のよいように呼び変えている日本政府。
その日を前に、語り継ぐ戦争に力を入れている読売社会部が8月14日の1面トップ記事で、「戦後79年 戦争の末路」というタイトルで、連載を始めた。
その1回目は、「ソ連頼みの終戦 夢想」「出口戦略なき開戦 現代も』という見出しで、戦後79年の夏、新たに見えてきた戦争の実像について、若手の識者に聞く。ということで、国際政治学者千々和泰明さん(45)と戦争の「終わらせ方」を考えるという語り継ぐ戦争の立場から興味深いものだった。
開戦1か月前の1941年11月、政府と軍部は「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を作った。
同盟国のナチス・ドイツが欧州で英国を屈服させれば、米国は戦意を失い、少なくとも引き分けに持ち込める。ドイツに乗っかり、終結に向けた具体的な戦略がないまま対米戦争に踏み切ったことが破局の始まりだった。
42年6月のミッドウェ―海戦で空母4隻を失ってから敗走が始まり、45年4月には沖縄に上陸を許す。
こうした中で浮上したのが、日本と中立条約を結びながら、連合国の一角をなしていたソ連に和平の仲介を依頼することだった。
首相や外相、陸海相らによる「最高戦争指導会議」は仲介の代償として日本領だった南樺太や千島列島の北半分のほか、満州で築いてきた鐡道網を引き渡すことまで決めた。
ソ連の指導者スターリンから46年までの相互不可侵の日ソ中立条約は延長しないとその時、通告されていた。
ソ連にすがる非現実性に向き合うべきだった。
日本は連合国が降伏を迫った7月のポツダム宣言を黙殺し、なおも、ソ連の仲介の終戦工作を続けた。
天皇が君主として存在する国体護持のため、日本は自国の犠牲者の増大を軽視し、多くの人が無残に死んで逝った。ヒロシマとナガサキに原爆が投下され、なだれ込むようにソ連も参戦した。
ロシアがウクライナに侵攻、侵略し、パレスチナ自治区ガザでは人質を取られたイスラエルとイスラム主義組織ハマスの戦闘が続いているが、一旦始まった戦争は容易には終結しない。
以上が1面の概要である。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援も訴えている。
「自由のために」である。
犯罪者の心理とアジア太平洋戦争における政府や軍部など戦争指導者たちの考えていたことがよく似ていることに驚きを隠せない。
犯罪者もいろいろであるが、計画性が全くないということは少なくて、犯行後、いかに捕まらず、逃げるかくらいあらかじめ考えるだろう。
ところが、加害者になるような輩は物事を自己中心的というか、自分に都合のよいように考える傾向がある。
だから、こういう加害者は警察に捕まる。
運転免許を18歳で許されてから、「だろう」運転は絶対やめろと警告されてきた。
「車が来ないだろう」は絶対ダメだが、「車が来るかもしれない」ということで注意力を集中する必要がある。
戦争のとき、米国のことを少しでも勉強すれば、米国は国力が日本とは違い過ぎることに気づくはずだ。
軍部の幹部は学業成績が優秀だったはずだから、そんなことは承知していたはずで、やる前から米国と戦って勝てると思っていたなら、明らかにバカである。
ソ連に和平の仲介を頼もうとしたなら、その関係者もバカで、こんなバカが国の指導層だったら、国は亡びるしかない。
案の定1945年8月9日未明、ソ連は満州や朝鮮半島、樺太に侵攻してきた。
日ソ中立条約を破ってなどと屁理屈を並べてみても意味がない。
条約なんて破るためにあるものだといってもいいくらいだ。
こんな体たらくだから、武装放棄した人々はシベリアに連行され、収容所で強制労働させられることなった。
ソ連は昔から日本の敵国で、未来永遠に敵国の可能性すらある。
だから、ウクライナがロシアに侵攻侵略されたら、日本はウクライナの味方をすることになるのだ。
戦争で犠牲者のことを考えない指導者たちは、もうたくさんだ。
2024年08月15日
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