2024年08月14日

日航機123便墜落事故は自衛隊が撃墜した?

 経済アナリスト、獨協大学教授森永卓郎さんが戦争と平和講座「第76回日光123便はなぜ墜落したのか」で、興味深い指摘をされているので、犠牲者の命日、盂蘭盆へという時期でもあり書いておく。 

 1985年8月12日18時12分に、大阪に向けて羽田空港を飛び立った日航123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中、520人が死亡するという、一機では、世界最大の航空機事故となった。
 事故の原因は、その後の運輸省の調査で、機体後部の圧力隔壁が破損し、そのときの圧力で尾翼の一部が吹き飛んで、油圧装置も破壊され、そのことで機体のコントロールが不可能になったことだとされた。機体は、過去に伊丹空港で尻もち事故を起こしており、そのときに破損した圧力隔壁をボーイング社が修理した際、十分な強度を持たない方法で行ったため、それが破損につながったとされたのだ。いまでも、この公式見解は一切変更されていない。

 事故当初から、場所がなかなか特定されなかったことなど事件を巡っては様々な見方があった。
 政府の発表した事実に疑念を抱くに至ったのは、2017年7月に青山透子氏が『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)という本を出版したからだ。青山氏は当時日本航空で働いていた客室乗務員で、事故機には彼女が一緒に仕事をしていた同僚たちが乗り込んでいたこともあって、事故の真相を探ろうと、あらゆる文献を収集整理し、目撃者証言を集めて、いわば人生をかけた調査に取り組んできた。そして、書籍のなかで、重大な事実を指摘したのだ。
 
 予め断っておくと、123便の墜落事故に関しては、これまでもあらゆる陰謀説が唱えられてきた。しかし、青山氏の今回の指摘は、そうした根拠不明の陰謀説とは一線を画すものだ。
 と森卓さんはその指摘を評価し、自らも当時の政権が事故原因を隠蔽するために制空権を持っている米軍の活動も本国政権を動かして抑え、事故原因を隠蔽することに成功したことで、日本が米国の奴隷というか、言いなりになってしまうことになったと発言している。


 経済アナリストとして、一番信用してきた森卓さんこと森永卓郎さんがガンで闘病中だと伝えられている。
 耳にするところによれば、余命宣告を受けているようなのだ。

 その森卓さんが、日航機は自衛隊が過って撃墜してしまったが、このことが市民に知られたら、当時の社会情況から、政権が崩壊してしまうことを恐れた当時の政府が恥も外聞もなく米国に要請して、事件の真実を隠蔽したというのだから、穏やかではない。

 事故現場ではまだ生きていた人たちがいたにもかかわらず、自衛隊員が火炎放射機で証拠隠滅を図るため、現場を焼いてしまったとまで言っているのだ。
 助かった4人は事故で事故現場から離れた場所に落下し、自衛隊員より先に地元の救急隊員がみつけてしまったので助かったというのだから、サスペンス映画も驚くほどの話になっている。

 あれから39年、御巣鷹の尾根には慰霊碑が建立され、関係者がお参りを欠かさない。

 真実は何とも言い難い。
 それでも、日本が米国の言いなりになっているにはそれなりの理由があると断じていた自分としては納得してしまいそうな話である。
 語り継ぐ戦争の立場から、戦後、79年経っても、米国の言いなりの日本政府に怒り心頭だった反米の自分としては、やはりと思わざるをえない。
 とても、フェイクなんて思えない。 
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