2024年08月13日

隔離と戦禍 ハンセン病患者の受難

 NHKETV特集「隔離と戦禍〜沖縄 ハンセン病患者たちの受難〜」を視聴することができたので書いておく。

 「戦争の混乱の中、沖縄でおよそ400人のハンセン病患者が亡くなった。その多くは戦闘に巻き込まれたのではなかった。今回、存在が明らかになった録音テープは、2000年代に入り重い口を開いた人々の声を記録したもの。語られたのは沖縄戦前夜に行われた日本軍による強制的な隔離収容、そして、そのあとに待っていた知られざる過酷な運命だった。戦争の時代に社会から隔絶されて生きるしかなかった人々の受難を見つめる。」と㏋にある。


 沖縄にはハンセン病の療養所が2か所ある。
 名護市、辺野古の海を埋め立て、米軍の基地を新設しよう企む政府が反対派住民を実力行使で押さえつけ工事を進めている街にある国立療養所沖縄愛楽園。宮古にある国立療養所宮古南静園である。

 ハンセン病はらい菌による感染症だとされていたことから、患者から兵士への感染を恐れた日本軍は患者を徹底的に隔離することにしたため、まるで犯罪者を捕まえるが如く患者たちは療養所に強制的に収容された。
 さらに強制労働させられ、栄養失調とマラリアで死んでいった。

 名護市にある沖縄愛楽園では、沖縄戦が始まるや、軍需施設と間違えた米軍に空襲、空爆されたことから、多くの建物が破壊されてしまった。

 戦争が始まると、学校の勉強ができる成績優秀者が軍人になって出世し、戦争の作戦を立てる参謀になり、机上の無謀なプランを立て、ことごとく失敗した辻政信のような戦争犯罪人が出てくる。
 ところが、立ち回りが上手く、戦後も戦争犯罪人としての追及を逃れ、国会議員にまでなっている。
 東南アジアに行くと言って、出国してから、行方不明となったことから、多分殺されたものとされている。

 一方で、戦争が始まると、健康な人間は召集され、戦場に連れていかれる。
 ところが、病気の人間は軍人としては使えないので、軍隊からは目の敵にされてしまう。
 ハンセン病患者は軍隊や軍人から見れば、食料を与えることすら無駄に見えてしまうから、死んでもらった方がいいとされていたのである。

 国立療養所多磨全生園に行き、納骨堂の前で、供養の願いを込めて尺八を吹いたことがある。
 ハンセン病患者宮崎かづゑさんのことを取材したドキュメンタリー映画『かづゑ的』を観て、ハンセン病患者の大変さを痛感させられた。

 戦争が佳くないことはわかりきっているが、弱者にとっての戦争は、一番つらい目にあうことになる階層だから、何としても、戦争にならない方がどんなにすばらしいことか。

 戦争で酷い目に合うのは弱者。女性、子ども、年寄り、病人など普段でも生きていくのが大変な人たちである。
 ハンセン病の患者は、沖縄では米国が特効薬を持ってきてくれたから、治癒できることになったが、日本政府は隔離政策をやめなかったことに問題があった。
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