2024年07月31日

「被爆の木」チリ森林火災を生き延びるもヒロシマで伐採

 南米チリで2024年2月に発生した大規模な森林火災により壊滅的な被害を受けた中部ビニャデルマルの国立植物園で、ヒロシマから贈られた「被爆樹木」の種から育てられたクスノキ6本とイチョウ13本が生き延びた。
 「ヒロシマの木」からは新しい葉が芽吹き、復興の象徴として地元住民らを勇気づけている。と6月22日の読売(大月美佳記者)が伝えていた。

 一方、被爆地ヒロシマでは、原爆に耐えた被爆樹木しだれ柳に謂われを記したプレートを付けてなかったため、広島市が伐採してしまい、担当部長が謝罪したと4月22日の東京新聞のWEBが伝えていた。

 被爆樹木とは、爆心地から約2キロの範囲内で焼失を免れた木々のこと。1996年度から制度が始まり、現在は160本が登録されている。県によると、伐採が行われたのは5月のG7首脳会議(広島サミット)に向けて景観を改善する河川工事。爆心地の北東約2キロの京橋川沿いにあるシダレヤナギ1本を、県が委託した土木工事業者が3月3日に切り倒した。
 市民の指摘で発覚し、県が4月19日に発表。「被爆樹木と認識していなかった」として、記者会見で担当部長が陳謝した。全160本のうち、伐採されたシダレヤナギを含む3本は、周知用のプレートが付けられていなかったという。

 「被爆アオギリ」を通じて命の尊さや平和の大切さを伝える「アオギリ祭り」が東京は町田の野津田町にある農村伝道神学校内に建てられた「浮輪寮」で初開催されたのは2022年7月のことだった。
 ミニコミ紙「タウンニュース」に紹介されていたことを知人に教えてもらったことがあった。
 何故、覚えていたのかといえば、農村伝道神学校は1954年の洞爺丸事故で自分の救命胴衣を日本人青年に与えて亡くなったカナダ人宣教師・ストーン牧師が創立した学校だと紹介されていたからだ。
 この事故を参考に水上勉『飢餓海峡』が書かれ、映画化されたヒロインの娼婦八重を演じたのが左幸子ということで関心が高かったこともある。


 クスノキといえば、先般、近所の寺の境内に植えてあった立派なクスノキが丸坊主にされた後、伐採されてしまった。
 管理している世話人内部でもめ事でも起きたのか、この暑い最中、日差しを遮り、日陰を与えるくれるクスノキを伐採するなんて、お前たちはバカかと言いたくなったが、他人の土地、寺の境内でのことだから、余計な口出しはできない。

 このところ、コロナだったのだろうか先週の月曜日から1週間体調不良で、ほぼ安静状態だったから、散歩に行かれなくなっていた。

 散歩のときに気づいたのは、中古のクルマ屋や修理屋の道路沿いの街路樹がいつの間にか伐採されてしまっていたことだ。
 ビッグモーターがやったことと同じことをやっている輩がいるにもかかわらず、お上は気づかないのか何のお咎めもしていないようだ。

 被爆地で被爆樹木を伐採してしまうくらいだから、樹木の有難みがわかっていない連中が多いのだろう。

 酷暑の夏、ケヤキやクスノキなどが作ってくれる日陰の有難み、樹木が運んでくれる風の心地よさはエアコンなしで生き延びようとしている我が家にとっては何物にも代えがたい・
 さらに、庭にまき水をしていたのだが、井戸のモーターが壊れて、災害時のときのために手押しのポンプにしたら水くみが大変で以前のように撒けなくなってしまった。

 森林火災はとんでもないことだが、被爆に耐えてきた樹木の生命力、人類への貢献を考えるとき、つくづく、樹木が1本でも多い方が佳いに決まっているわけだ。

 だから、被爆樹木にしろ、そうでないにしろ、樹木を大事にしたい。
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