2024年07月26日

生還 コロナ禍から

 19日金曜日、『越後奥三面』を観て、20日は元気だったにもかかわらず、21日の午後から喉が痛くなり、これはまずいことになった。と悪い予感がし、22日、月曜日の朝、37度台ではあったが、発熱し、咳も出たことから、歩いて15分、車で5分と近くのかかりつけのクリニックに連れ合いと一緒に行った。
 熱があるとクリニックに入れない約束だから、駐車場で、診察ということになった。
 コロナの検査をしても意味がないので、喉の痛み、咳、そして、カロナールと三種類の薬を処方してもらい帰宅し、自分の本や映画のパンフレット、尺八やCDで足の踏み場もない部屋で、そのまま療養と相成った。
 3日間、熱が下がらず、昨日になって、ようやく、熱だけは平熱になったが、腰など関節が痛くて簡単には立ち上がれない。
 5日目の今日は、今のところ、怖れていた肺炎の兆候はみられない。
 咳は出始めると苦しいし、だんだんひどくなるが、薬で押さえているという感じである。

 というわけで、もう大丈夫かもしれないと、忘れていた宿題をやるように書き始めた。
 タイトルが「生還」だと、全く、大袈裟だな、読んでみたら全く大したことはないではないかという向きもあるだろう。
 しかし、当事者にしてみれば、ちっとも大袈裟ではないのである。

 美空ひばりが亡くなったニュースが流れたとき、寺の坊主がなりやすいとされているあの痛い病気で入院手術をしたのだが、ドクターの手術ミスが重なり、3回も手術させられた。

 その後、3年間も痛みと違和感に苦しめられ、1992年3月だったと思うが、港区の今は閉院した病院に入院し、手術、絶飲食で5月末日まで約3か月入院し、炎症性腸疾患クローン病だと診断され、食事制限が始まった。

 ストレスで仕事を退職することばかり考えていた2003(平成15)
年6月、腸閉塞で1週間程度入院し、病気加療を理由に退職を申し出て認められた。

 その後、2006(平成18)年だったか、再び、腸閉塞で入院するのだが、恥ずかしいことに連れ合いの帰宅まで痛みを我慢できず、救急車の世話になった。

 腸閉塞は鼻から管を胃まで入れるのか、とにかく苦しい。
 口から吐きながら、悲鳴を上げる患者の鼻から管を入れるドクターは神様のように見える。

 そして、2022年9月、39度の発熱が下がらず歩行困難になり、またしても救急車で運ばれる。尿路感染症が悪化し、腎盂腎炎でもう少し遅ければ尿毒症でアウトだった。
 入院期間はいずれも1週間程度であったが、腸閉塞は絶飲食で鼻から管だから楽ではない。

 以上が、病院にお世話になった入院歴であるから、免疫力が低下し、コロナで肺炎に罹患すれば、助からないだろうと覚悟するわけだ。

 経済的に困っていることはないが、40代からの病気とのつき合いだから、生きていくのもたいへんなのである、

 カネがなくて困っている。一人暮らしだから話し相手がいない。病気を抱えている。嫌な奴につきまとわれている。・・・。
 自分の思い通りになることなどほとんどないが、それでも健康であれば何とかなるけれど、病気だけはどうにもならない。
 それも、免疫力、生命力次第だから、何とか、肺炎にならずに、今回、乗り越えられたら、まだお迎えは来なかったと解釈し、少しは世の中のためになることをやっておきたいと思った。  
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