2024年06月24日

戦い、そして、死んでいく

 昨日、沖縄の慰霊の日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催された沖縄戦の全戦没者追悼式をNHKがTV中継してくれた。
 沖縄県立宮古高等学校3年仲間友佑さんが平和の詩として「これから」を発表されたのだが、平和への願いが込められたそれは素晴らしい出来栄えで見事だった。
 セミの鳴き声に短い命を思い、70年前の沖縄戦に想像を巡らせ、少年少女たちは誰かの起こした戦争で未来を閉ざされ死んで逝った。 
 「泣く我が子を殺すしかなかった」「一家で死ぬしかなかった」と集団自決せざるを得ないように追い詰められた住民の気持ちを思い、それでも、生き残った人は絶望にうちひしがれる中で、懸命に生き、命をつなぎ、今日を創った。
 戦争の惨禍は人々が戦争のことを口を閉ざすようにした。
 あの日も海は青く、太陽が照りつけていたことは変わらない。それでも、平和が欠ける怖さを僕たちは知っている。
 人々は過ちを繰り返し、世界は争いが絶えない。
 平和への祈りを僕らがつなぎ続けよう。

 以上が要約で、全文はネットで知ることができる。

 NHKスペシャル“戦い、そして、死んでいく”〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録を視聴することができたので書いておく。
 「米議会図書館に所蔵された「海兵隊戦闘記録」。兵士の声をラジオでアメリカ国民に届ける目的で収録された音源だ。最前線の戦況、激しい戦闘の直後の兵士の声…浮かび上がるのは、日本軍のゲリラ戦に翻弄され、軍民混在の戦場で神経をすり減らしていく様子だ。そして、兵士たちは「狂気」に身をゆだねてゆく。20万人以上の命が失われた沖縄戦。音源に加え、元兵士の消息を追い、“地獄”と呼ばれた戦場を「音」から再構築していく」と㏋にある。


 沖縄戦の記録映像は全て、米軍が撮影し、記録したものである。
 この一事だけで、米軍に日本軍が勝てるわけがないことが理解できる。
 戦いながら、仲間が死んでも記録として映像を残しているのだから資力の違いを思い知らされる。
 
 ところが、沖縄戦の部隊となった沖縄は天然の要害というかガマと呼ばれる自然壕が無数にあって、身を隠すのには都合が佳かったら、沖縄を本土を守るための防波堤とし、持久戦を企図した日本軍には恵まれた自然環境だった。
 それでも、読谷村に1945年4月1日に上陸し、沖縄本島を南北に分断した米軍の作戦は功を奏し、南部に追い詰められた日本軍守備隊32軍は、6月23日、牛島司令官、長参謀長の自決で、組織的抵抗は終わった。

 米軍の記録映像で、ガマなどでの集団自決や守備隊の兵士が米軍に投降しようとする県民を銃殺というか、撃ち殺したことを知り米兵が驚くシーンが心を激しくゆさぶった。
 一方で、無抵抗の県民女性が男に見えたとか、ライフルを持っていたようだったという理由をこじつけ、射殺した米兵がいたことにも驚かされた。

 沖縄戦が終わって、米軍が統治するようになってから、沖縄の女性たちが米兵から性的暴行を受ける事件が後を絶たなかったことも語り継いでいかなければならない。

 日本軍の戦争に巻き込まれた沖縄がどれほど酷い目にあったことか、県民は語り継いでいるが、県民が大和と呼ぶ本土では、地上戦がなかった分、保守派、右翼的な立場の人間が増え、米軍の戦争に巻き込まれそうな戦争前夜みたいになっている。

 沖縄戦に思いを馳せることで、米軍の戦争に巻き込まれないようにしていくことも大事なことではないか。

 高校3年生の仲間友佑さんの平和の詩で、若い人が平和を守る決意を伝えてくれていることは心強い。
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