2024年05月30日

無給で働く価値 保護司という仕事

 「無給で働く4万人 保護司という仕事」という見出しで、保護司の仕事に目を向けた5月26日の読売が「広角 多角」というタイトルで保護司の仕事ぶりを紹介(石浜友理記者)していた、無給で働き、社会を支える保護司に世話になった男性の恩送りの話に心を揺さぶられたので書いておく。

 2023年10月3日の読売が、「罪を犯した人らの更生を支える保護司。高齢化が進み、担い手確保が喫緊の課題となる中、地元の保護司会と連携した取り組みを進めている自治体がある。荒川区では、区職員が保護司として保護観察を担当するなど、他自治体から注目を集める事例もあり、制度維持に向けた「切り札」として広がることが期待されている。」(松下聖記者)と伝えていた。

 保護司は明治期に実業家金原明善ら篤志家が設立した「静岡県出獄人保護会社」が原点とされる。
 崇高な社会貢献の精神が根底にあるがゆえに、非常勤の国家公務員と言えども給料はない。それでも全国で4万6584人(1月時点)が活動を続ける。

 紙面で紹介されていたのは少年時代保護司のお世話になった高坂朝人さん(40)。広島市で生まれ、14歳で暴走族に入り、逮捕歴15回、少年院に2度入り、20歳になるまでの約3年半は保護観察付きだった。
 彼を担当したのが保護司の山根五郎さんだった。
 山根さんは説教じみたことは言わず、ただ、優しく寄り添おうとしてくれたが、若かった彼は有難みがわからず、再非行に走ったりという状況は変わらなかった。
 更生のきっかけは23歳の時、後に結婚する彼女の妊娠がわかり、父親になる自覚が芽生えたこと。
 ようやく自らの過ちに気づいた20代後半、思い切って山根さんの自宅を訪ねたが、妻から「もう亡くなった」と告げられた。

 今、高坂さんは出所者や非行少年を受け入れる施設の運営に携わるようになり、2023年保護司になった。
 「山根さんに恩返しはできないが、目の前の少年たちに『恩送り』していきたい」と高坂さん。


 語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた立場であるから、究極の被害者支援として、加害者の更生には関心が高く、更生を手助けする保護司の活動も何回かとりあげている。

 というのは、74歳だったかで亡くなった母方の叔父が保護司で、今、還暦くらいの従弟がまたその職を受け継いでいると耳にするから、保護司は身近な存在である。
 先年、80代でなくなった地域の有力者もまた保護司をしていたり、知人の不動産会社の社長もまた保護司だから、余計そんなことを思うのかもしれない。

 政府は叙勲だなどとお手盛りの勲章制度を維持してきたが、カネ貰ってやっている政治家、お上の人間が勲章もらっているのはおかしなことだと思っていた反面、無給の保護司がもっと社会的に評価されるべきだと考えてきた。

 経済的に富裕層というか、恵まれた身近な人たちが保護司だったが、それではなり手がいなくて、荒川区の職員が保護司を務めるということを知り、国や市など自治体の職員、退職者などは保護司としては成り手がいなければ、適任かもしれない。
 まあ、なんでもそうだが、適性といえば、人によってということにはなるだろうが。

 岡山四聖人の一人として知られる留岡幸助は感化院を作ったことで知られるが、保護司は施設から出所、出院した人たちにとっては身近な理解者、相談者として頼りになる存在である。

 紙面で紹介されていた保護司の奮闘を描いた映画『前科者』が公開された2020年は新型コロナ禍で映画館に行くことを自粛していたため観ていないので、どこかで上映したら是非とも観てみたい。
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