首里城正殿の地下に築かれた「第32軍司令部壕」。現在一般には公開されていないが、今も一部の坑道から内部に入ることはでき、県が毎年点検を行っている。
今回、そのうち第2坑道、第3坑道で、最新の取材が行われたとメディアが伝えている。
県は住民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦を象徴する戦跡として一般公開を視野に保存を進めている。と5月23日の読売が夕刊で伝えている。
首里城は2019年に火災で焼失した。現在、正殿などの再建工事が進められている。県内外の宮大工が連携し、2026年には完成の予定だ。
「第32軍司令部壕」こそは、沖縄戦当時、住民が逃げていた南部に向けて部隊を撤退させ、巻き込まれた多くの住民が犠牲となる結果を招いた「戦略持久戦」が指揮された場所だ。
県は25年度に第5抗口、26年度に第1抗口の公開を目指している。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で沖縄を訪れて、何回も取り上げてきた沖縄であるが、誤解を恐れずに書いてしまうと、沖縄は日本ではなく、琉球だということ。
識名園という庭園があり、連れて行ってくれたガイドの外間さんによれば、琉球は小国で、中国や朝鮮、薩摩の島津に気を使った外交をせざるをえなかったとのこと。
識名園の造園にも、来客として招く隣国の大国などのことが意識されていたらしい。
結果的に琉球王国が大和と一緒になったことから、大和の戦争に巻き込まれ、大和の敗戦のツケを払わされるような形で嘉手納空軍基地、普天間飛行場、キャンプキンザ―、キャンプコト二ー、キャンプハンセン、Camp Shieldsなど31の米軍専用施設があり、その総面積は1万8,609f。沖縄県の総面積の約8%、沖縄本島の約15%の面積を占有(Wikipedia)しているのだ。
その上で、辺野古の海を埋め立て新基地をつくろうとしているのだ。
ついでに書くなら、嘉手納には東洋一の弾薬庫があり、ここが攻撃されたら、大変なことになるとはガイドの外間さんの弁である。
戦争に敗れたとはいいながら、沖縄が仕掛けた戦争ではなく、ただ、大和の巻き添えみたいな形で20万人もの人が亡くなり、住民4人に1人が犠牲となったのだから気の毒この上ない。
それでも、沖縄県民は平和の礎に敵味方、民族の区別なしに戦没、死没者の名前を刻み、供養できるようにしているのだ。心ある人たちなのだ沖縄県民は。
敗戦後79年、長く米軍の統治下にあった沖縄では米兵による沖縄の女性たちに対する性的暴行事件が繰り返され、中学生までもが標的にされた歴史を生きてきた。
1972年5月15日、日本に復帰したとはいうものの道路の通行区分が大和並みになったくらいで、貧しさはかわらない。
6月15日から東京東中野でガマフヤーの具志堅隆松さんの「行動的慰霊」行為である遺骨収集をドキュメントした映画『骨を掘る男』が上映されるということで、観に行くつもりだが、沖縄戦の遺骨がまだまだ眠っているのが沖縄なのだ。
敗戦後79年経って、遺骨が収集されていないなんて、政府は何をやっているのだろうか。
国のために戦い、斃れた人たちに対する供養の気持ちがなくて、何が靖国神社への参拝だ。
靖国の参拝ではなく、骨を拾う方が先だろう。
2024年05月28日
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