2024年05月24日

裁判員制度15年 高裁で判決を覆してはならない

 裁判員制度は市民の司法参加を実現するため、2009年5月21日にスタートした。
 裁判員制度が導入されると法廷でのやりとりが重視される「公判中心主義」へとプロの裁判官が結論を決めていた時代とは様変わりしていく。と5月21日の読売(杉本和真、坂元早希、糸魚川千尋、池田亮記者)が特別面で伝えている。

 09年8月に東京地裁で第1号事件が審理されて以降、2024年2月までに判決が言い渡された被告は1万6000人を超える。裁判員経験者の95%超は最高裁の調査に「よい経験」と答えており、法曹界でもおおむね順調に運営されているとみる向きが多い。
 
 課題としては、候補者になったものの、裁判員になるのを辞退した辞退率は6割超で高止まりしていること。裁判員に課されている守秘義務もその範囲がわかりにくいなどと疑問視する声も上がっている。
 裁判の前に争点や評価を整理する「公判前整理手続き」は長期化傾向が続くことがある。

 導入から15年、19歳で裁判員を務めた学生や法曹三者と識者の見解から課題や展望を探った。ということで、19歳の裁判員大学生秋月大輝さんが「貴重な機会」だった。
 国学院大学名誉教授四宮啓さんが「運営 不断の見直し必要」で、裁判官の誘導があった」という声があるのは気がかりだ。
 最高裁刑事局長吉崎佳弥さんが「『公判前』の長期化課題」で、「市民感覚の反映」を真に実現するために裁判員が充実感を持って参加できるように。
 最高検公判部長鈴木真理子さんが「柔軟な証拠開示に努める」とし、裁判が予定調和的になってしまっていないかも気になる。
 日弁連副会長坂口唯彦さんが「わかりやすい弁護 研鑽」に努めるということで、弁護人の説明がわかりにくかったという裁判員の声を謙虚に受け止めて研鑽の歩みを止めてはならない。と語っている。


 司法制度に関しては、国家試験の中でも難しいとされている司法試験に合格したという法曹関係者の自負があり、素人が口出しするなという雰囲気があった。
 ために、法曹三者で行ってきた裁判に市民感覚を取り入れようと、米国の陪審員制度を参考に裁判員裁判が導入されたが、現在の裁判員裁判は市民参加のアリバイ作りみたいな形になっているだけで、全く実態は変わっていない。
 責任を市民が担当する裁判員に押し付け、自分たちの責任を軽減しようとする姿勢がみえみえだからである。
 
 市民が担う裁判員が決めた判決が高裁でいともたやすく偏向というか変更されたときは怒り心頭だった。
 それなら、初めから、裁判官が全部決めればいい。勝手にしろと怒り心頭だった。

 犯罪学、被害学を勉強してみて、刑罰のあり方に疑問を抱いたのは、被害者が一人だから死刑は適用しないと勝手に決めたり、検察が求刑する刑罰の8掛け判決が横行しているのもおかしなことだ。

 JT女性社員のお礼参り殺人事件というのが起きた。
 加害者は殺人の前科があったにもかかわらず、被害者女性に性暴力を働き、そのことを恐喝の材料にし、捕まった。 
 ところが、裁判では過去の殺人事件を重く見なかった裁判官のせいで、刑罰が軽く、出所したこの男に被害者はお礼参り殺人されてしまったのである。
 流石に、逮捕後、国と司法は、わが国の司法制度への挑戦だとして、お礼参り殺人として死刑判決が言い渡され、刑罰が確定後、加害者の男の死刑が執行されている。

 市民感覚というなら、危ない奴、輩は塀の外にだすなということになるが、実情はそうなっていない。
 市民感覚で決められた判決が比較的刑罰が厳しくなるのは当然のことで、その判決を覆すなら、裁判員裁判などやめたほうがいい。
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