「自由のために」とはいうものの、語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援など冥い話題が多いので、閑話休題ということで、「歩く」ということをテーマに書いておきたい。
「歩いて生きた庶民 江戸の健脚を思う」という見出し。「広角 多角」というタイトルで4月21日の読売がコラムの紙面で編集委員近藤雄二さんが書いていることが気になった。
現代人はとかく運動不足になりがち、ということで厚生労働省が2024年1月、健康維持に推奨される運動の目安をまとめたガイドを作成した。
成人は歩行か同程度以上の身体活動を1日60分(約8000歩)以上、高齢者は40分(6000歩)以上、することを推奨。さらに、成人と高齢者には週2,3日の筋トレをを行うことを勧める。そうな。
無論、子どものことも書いてあったが省略する。
筆者はスマホの歩数計でジョギングした日は目安を上回ったが、さぼった日は5000歩にも届かない。
電車通勤、デスクワークに身には8000歩は手ごわい数字だという。
ふと、江戸時代の庶民を思った。
文明の利器がなかった時代だから、人々は通勤、買い物、行商と、どこへ行くにも歩いた。
楽しみの一つである行楽ではお伊勢参りを筆頭に歩きに歩いた。
何故、気が遠くなるような歩き旅ができたのか。それは日常生活が強い足腰を鍛えていたことにほかならない。
歩くことは、誰にでもできることだから、「上を向いて歩こう」や「三百六十五歩のマーチ」などで歌われてもきた。メジャーな曲ではないが若い頃好きだった山崎ハコには「歩いて」という歌だってあった。
歌が出てきたから。芸能の世界に目を向ければ、盲目の旅芸人瞽女や若い頃、三味線を弾きながら門つけをして歩いた高橋竹山のような人たちが歩くことで生きる糧を得ていた。
悩みを抱える人たちは四国や秩父などで知られる遍路として、願いが届くように結願まで歩いている。
スマホは、電話をかけることと、youtubeを視聴したり、路線情報や映画情報を調べたり、津軽三味線の練習に使うくらいであったが、編集委員と同じように毎日、歩数計は必ずチェックし、10000歩を目標に動く。
若い頃はジョギングをしていたこともあったが、今は走れないので、毎日、30分から40分歩くくらいだから8000歩に届けばまあまあの数字である。
ただし、散歩の効用として、認知機能が衰えてしまった身には、散歩中にどうしても思い出せなかったことを思い出すことがよくあるので、歩かない人にはお薦めしたい。
尺八の仲間と言っていいのかわからないが、自分が応援している演奏家のひとりが若い頃、何と歩き遍路を達成したと知り、敬意を抱くようになった。宿坊とか利用せずに野宿だったというではないか。
若さには勝てない。
江戸時代の庶民には遠く及ばないが、スマホの歩数計をチェックする楽しみとして、歩いて10分足らずの郵便局、歩いて12から13分の眼科、かかりつけのクリニックは歩いて15分、そして、病院も帰りだけだが、35分くらいかけて歩く。
歩く効用としては、畑で頑張りすぎて、腰痛で悩んでいるときに歩くと腰痛が楽になるような気がする。
カネがなくとも歩くことはできるし、歩けるうちはまだ大丈夫だと自分に言い聞かせられもする。
歩きハイマーなんて言葉もあるが、歩けなくなったら一大事である。
2024年04月24日
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