能登半島地震から1か月経った。時間が経つにつれ、被災者たちの「心のケア」が大きな問題として浮上している。阪神大震災の際、心的外傷後ストレス障害(PTSD)対策の必要性を訴えた精神科医中井久夫さんの言葉を振り返ることも役立つだろう。ということで、中井さんの仕事に詳しいノンフィクションライター最相葉月さんが寄稿している。と1月30日の読売が伝えている。
「能登地震 心のケアに『阪神』の知恵」「精神科医中井久夫の言葉」最相葉月さん「今、必要なかたちへの変化求められる」という見出しで、中井さんを貫いていた「なぜわたしではなく あなたなのか」という言葉に心を動かされたので書いておく。
「なぜわたしではなく あなたなのか」に続く「なんらかの幸運によって自分は病や被災から免れているけれど、いつそちら側に立つことになっても不思議ではない」という中井さんの言葉は重い。支援の場に赴くのであれば、そのような気持ちで臨みたい。と最相さん。
阪神淡路大震災のときに神戸大学医学部付属病院で精神科救急チームを率いた中井さんとその弟子たちの活動は「心のケア」と呼ばれ、その後、兵庫県を起点として全国に「心のケアセンター」という研究・相談・診療機関が設立される。この延長線上に組織されたのが災害や事故現場で精神科救急の支援を行う厚生労働省の委託事業DPAPで、新型コロナの初期の頃の豪華客船から能登半島地震の被災地まで活動の幅を広げている。
中井さんの知恵を受け継ぎながら、震災ごとに変わる状況に応じ、今この瞬間に必要な形に変化させていくことが求められる。と最相さんは心のケアに取り組む姿勢について語っている。
自分が小学生の頃から読んでいる読売の人生案内の回答者の一人である最相葉月さん。その回答は的確で共感することが少なくない。
小説を読むことの方がノンフィクションを読むことより圧倒的に多かったので、著作は読んでいなかったことも相俟って中井久夫さんのことはよく知らなかったのでとても勉強になった。
「なぜ私ではなく あなたなのか。なんらかの幸運によって自分は病や被災から免れているけれど、いつそちら側に立つことになっても不思議ではない」という言葉は自分が生きてきたときの哲学だと言ってもいいくらいである。
古希を過ぎるまで生きられるとは思っていなかったにもかかわらず、自動車運転免許証の更新手続きに認知症の検査が必須となるまで齢を重ねて、振り返れば、お世話になった人の顔が走馬灯のように浮かぶ。
周囲にはいろいろな人間がいて、例えば生活保護を受けている人を見下すような自民党の比例選出の女の議員みたいな自分の最も嫌いなタイプの人間だって少なからずいた。
ところが、お世話になったその人生の先輩は、「人の一生なんてわからない。いつそちら側に立つことになっても不思議ではない」と嗜めたのである。
爾来、明日は我が身だというこの先輩を尊敬し、自分の生き方に反映させるように努めてきた。
だから政治家ではれいわ新選組代表の山本太郎さんを熱烈に支持するようになった。
理由は、誰がなるかわからない障がい者。それも重度の方を国会に送り込んだからである。
自民党の比例選手の女とは較べることさえ、山本太郎さんに失礼だと思うような快挙を成し遂げたのだ。
能登半島地震では、2月1日の読売が犠牲となった方を顔写真付きで、遺族や知人のコメントをつけて、3ページも使って取り上げていた。
それぞれの人生の一端を垣間見るようで、涙を流しながら読んだが、気持ちが落ち着いたら書くかもしれない。
大学の先生がTVで、熊本地震や場合によっては阪神大震災よりもっと地震は強かったのではないかと指摘していたほど強烈だった能登半島地震。
震災後1か月、生き残った人の心のケアを考える時機としては今だろうから、何とか生きる希望が持てるような心のケアができるといいと願っている。
生き残った人はなぜ、わたしではなく あなたなのかと思っている人が少なくないにちがいない。
生き残った人は生かされたと思って、亡くなった人を供養し、前を向いて生きてほしい。亡くなった人の分まで。
2024年02月03日
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