「取材帳」というタイトルで読売(古沢由紀子編集委員)が夕刊に連載している。その2023年11月28日は「藁を探して」の6回目で「米どころの手仕事 次世代へ」「祖父の技 受け継ぎたい」「『民芸』への思い 地域に根付く」という見出しで全国に知られた米どころ山形県が厳しい雪の季節に生み出してきた数々の藁製品のことをとりあげていた。
中でも、庄内地方で荷物の運搬に使われた背中当て「ばんどり」は、民芸運動を主導した思想家の柳宗悦が「日本の農民工芸の代表者」と絶賛したほどだと紹介されている。
その「藁文化」の伝統をつなごうとする動きもみられるという。
時代小説の藤沢周平の故郷鶴岡市、その藤島地区では、藁専用の水田で育てたササニシキをイネが実前に「青刈りし、瑞々しい緑色を保つように天日干しした藁を倉庫に積んでいるのは藁細工の名人として知られる斎藤栄一さん(88)。近隣の神社の注連縄作りを担い、京都の有名神社から奉納用草鞋の注文を受けたこともある。
その作業を孫の有里さん(32)が手伝う。写真撮影の仕事の合間、実家の工房で祖父と藁仕事に励む。
藁細工の手ほどきを受けたのは地元の小学校のクラブ活動で「縄のない方などが身についた」という。
「祖父の技を受け継ぎたい」という有里さんは有力な後継者候補である。
雪国振興へ戦前には輸出構想もあったという庄内の藁製品、とりわけ「ばんどり」の評価は高い。鶴岡市の「致道博物館」では農具や藁細工など多数を展示。「ばんどり」など戦前に作られた収蔵品など116点が重要有形民俗文化財」に指定されている。
「藁を探して」の連載から、藁のことは一度取り上げたことがある。
米を主食にしてきたわが国は、米にまつわることが文化となっている。
日本全国津々浦々で伝承されてきた秋祭りの多くが五穀豊穣の祈りに関連していると言っても過言ではない。
米を生産するとき、田に水を入れ、稲の苗を植え付ける。秋になって稲穂が実り、稲を刈る。脱穀し、藁は畑や田んぼの肥料にしてしまう。
その藁を農民の知恵で有効活用してきたのが所謂藁細工。
農閑期の冬場、家の中でできる仕事として藁で農作業で使うものを拵えてきた。
藁を編んで縄をない、履物にする草鞋、合羽にする蓑、敷物にする筵や叺という袋状の入れ物をつくったりしている。
農作業とは関係ないが、藁人形というのもある。
藁人形といえば、山崎ハコの歌に「呪い」があった。コンコンコンコン藁の人形にくぎをさすのだ。
わが家は農家ではないが、畑が少しばかりあったことから、父親が休みの日には小学生の頃から手伝いをさせられた。
田んぼはなかったが、陸稲(おかぼあるいはおかぶと呼んでいた)を畑で作っていたことがあり、脱穀機や唐箕があってモーターで動かして使っていた。脱穀後藁が残ったが畑の肥料にしたように記憶する。
その脱穀機とモータ、唐箕は公共施設に寄贈した。
縄や筵、叺も使っていたが、すべて、買い求めたもので、自分たちで作れたわけではない。
それだけに、庄内地方の「ばんどり」を筆頭に注連縄など藁製品を自分たちで拵えてしまう斎藤栄一さんの技はぜひとも、孫の有里さんに受け継いでもらい、伝承してほしい。
何とか、日本の伝統工芸品である藁製品を次世代に継承してもらいたい。
2024年01月11日
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