2024年01月07日

珠洲焼と山中塗 能登地震に負けるな!

 2023年5月、石川県珠洲市で震度6強を観測した地震から5日で半年となるということで、揺れで窯が壊れるなど打撃を受けた地域の伝統工芸品「珠洲焼」の工房は、多くの人の支援で10月末に窯を再建したと11月4日の読売が(福原悠介記者)夕刊で伝えている。

 5月の地震では石川県によれば、1人が死亡、47人が重軽傷を負った。県内の住宅被害は前回38棟、半壊263棟、一部破損1384棟。珠洲市は国から「局地激甚災害に指定された。市によれば、公的支援を受けるのに必要な罹災証明は10月末時点で4622件が発行された。

 珠洲焼は、色つやを出す釉薬を使わずに焼き上げ、幽玄な灰黒色が特徴だ。12世紀中頃から5世紀末に同市周辺で生産され、日本海側に広く流通したが、衰退し、1970年代に市が伝統工芸品として復活させた。 
 紙面では珠洲焼作家篠原敬さん(63)の再建された窯が写真で紹介されている。

 同じ石川県の伝統工芸品、加賀市の「山中塗」の事業者らの組合が漆器の新シリーズを共同開発したことを11月9日の読売が伝えている。
 山中塗は安土桃山時代の木工職人・木地師が作り始めた。乾燥などでゆがみが出にくい頑丈さが特徴で、石川県の輪島塗が「塗りの輪島」と呼ばれるのに対し、「木地の山中」と評される。

 生活スタイルの変化で引き出物などの大口需要が望めない中、日常の道具としてのブランド化を目指し、各工房がライバル関係を捨てて職人の技術を結集させた。
 引き出物の定番だった1980年代空0年代半ばは88年の400億円をピークに年間300億円以上の生産額を誇ったがコロナ禍では50億円台に落ち込ん打ということで生産者の危機感が背景にある。


 北陸地方、越前、越中、越後そして加賀、能登と呼ばれていたこの地域では越中富山と能登には行っていないが、越後と越前、加賀は訪れている。
 津軽、下北の半島は若い頃行っているので、同じ半島である能登も行きたい候補地にはなっていたが、残念ながら行く機会がなかった。
 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では石川県芦原の吉崎御坊近くに「お町さん」の墓があるので行く予定はあった。
 「お町さん」は満州と朝鮮半島の近くの安東で邦人の避難民救済に立ち上がった人で、中国共産党政権に銃殺された人物であるが、愛知県の三ヶ根山に慰霊碑があり、お参りしたことがあるのだ。
 吉崎御坊近くの地はお町さんの故郷なのだ。
 戦没者の慰霊と共に遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたので、石川県小松市街地の南方、串茶屋町の東にある共同墓地内にある江戸時代中期から明治時代初期に建立された数多くの遊女の墓にもお参りに行くことにしていた。

 能登半島には2023年の5月に地震が遭ったので、今思えば、大地震の前触れだったのかもしれない。
 首都圏でも揺れたほどだから、地震の揺れが激しかったことは想像できる。

 岸田首相は救援物資を携え、現地に行き、被災者を励ますくらいのことはやってもいいはずだ。

 北陸は原発地帯だから、原発事故が起きているのではないかと心配しているが、不都合な真実は隠してしまう電力会社は事故はないと言っているが信用ならない。

 災害が起きると何と言っても便りになるのは自衛隊で、自衛隊が米国の言うがままに海外に派兵されていたら、災害が起きた時、誰が助けてくれるのだ。
 だから、自衛隊の海外派兵に反対しているのだ。
 災害で一番困るライフライン、水と電気とトイレ、食料は空からヘリで物資を落とせるが、道路が地震でやられてしまっているから、重機が運べないとなったら、こちらも自衛隊にお願いするしかない。

 東日本大震災の復興では、会津喜多方の大和川酒造の酒を買い求めることで、支援の一助にしてきたが、能登地震でも復興に役立ちそうな物産のどれかを買い求めるようにして協力したい。 
posted by 遥か at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能、伝統工芸
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