「秋田美人」の由来とされる川反芸者として、昭和時代から東北有数の花街を支えた浅利京子さん(81)(芸妓名・若勇)が28日で引退する。老舗料亭で常連客と過ごす最後の座敷を前に、浅利さんは「お客様がいらっしゃるからこそ芸をお見せできる。感謝の気持ちしかない」と語る。と12月19日の読売(田辺研吾記者)が伝えている。
秋田市の大家族に生まれた浅利さんは10歳で川反の置き屋に預けられ、学校に通いながら踊りや小唄の稽古に励み、20歳のとき芸者デビューした。
男踊りの「武田節」、女心を表現する「初雪」などを得意とし、売れっ子に。当時は高度経済成長期で、1日3回、お座敷に呼ばれることもあった。
しかし、1980年代になると、「お座敷離れ」が進み、酒席の盛り上げ役はコンパニオンに移っていった。40歳代半ば、一度は花柳界から身を引いた。料亭に芸者を取り次ぐ事務所も92年に姿を消した。
衰退していた川反芸者の復活を目指す動きが始まり、2014年に「あきた舞妓」を派遣する会社が設立され、「秋田川反芸妓連」も復活。
川反の代表的な小唄「酒の秋田」の踊りや、年始行事の作法といった花柳界で受け継がれてきた文化などを後進に伝えるとともに、自らも舞台に立った。
接客業では、歴史的にも文化的にもその代表的な職種である芸者。
女性の職業としても、芸を身につければ定年はなく、身を立てていくことができた。
京都を筆頭に東京など日本全国の歓楽街、温泉などにも芸者がいて、花街で接客に勤しみ。歓楽街の繁栄に寄与してきた。
同じ接客業でも、吉原など花街では芸者と遊女、女郎とは異なった存在で、芸者は芸を売るだけで、体を売るわけではない。
ところが、温泉芸者などの一部には、不見転というか、過去、生活のために、或いは気に入った客であればそういう関係になってしまったという話もあるくらいで、微妙な部分もあったみたいではある。
まあ、芸者でもパトロンを見つけて、落籍されるなんて話があったから、誤解を招くことになった部分もあるだろう。
日本の伝統芸能、伝統文化に誇りを持っている日本大好き人間の一人としては、接客業に芸者がいなくなってしまったら、日本にやってきた外国人をもてなすことに日本独特の輝きがなくなってしまうと危惧する。
芸能や工芸など、芸術の分野では、人と同じでないところに価値があるわけで、芸者の芸は一人ずつ力量が異なるから個性があってよいと評価されるのではないか。
9月27日の読売の文化の紙面で、「歌舞伎、工芸 企業が支援」「衣裳展、トークショー 職人動画、コラボ作品」という見出しに坂東玉三郎さんがトークショーで語っている写真が掲載され、日本の伝統文化振興に力を注ぐ企業の取り組みが目立つ。ということを伝えていた。
芸者の芸の本家みたいなのが歌舞伎や舞踊の世界で、そちらに企業の支援があるなら、芸者には土地土地の企業や客になれる恵まれている階層の人たちの支援が必要だ。
伝統芸能を守るためには、働く場が必要で、芸者でいえば、お座敷であり、恵まれている階層ばかりでなく、もう少し幅広い階層が利用できるようにしていくことも必要なことではないか。
80代だから世代交代で年齢的に引退、退場していくのは仕方ないとしても、若い後継者を育成するということも伝統を守るために欠かせない。
2023年12月22日
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