ベトナムの教育改善を願いながら、1993年に東京の大学生だった高橋淳子さん(当時20歳)が交通事故で亡くなってから9日で30年となった。
願いを受け継ぎその名を冠してベトナム中部ディエンフック村に建てられた小学校では、今も約640人が学ぶ。高橋さんの後輩らが卒業生を留学生として日本に受け入れ、交流の輪が広がってきた。と12月10日の読売(安田信介記者)が伝えている。
高橋さんは明治学院大学3年時の93年夏、東南アジアの経済発展の調査でベトナムを訪れた。1か月の滞在中、ボートピープルとして渡米した体験談を青年たちから聞き、衝撃を受けたという。
発展途上国の人々が十分な教育を受けられるように、あらゆる面からサポートしなければならない。と記したリポートを帰国後書いた。
直後の12月、スリップ事故で命を落とした。
父親の広太郎さん(76)は娘の思いを知り、「ベトナムに嫁にやった気持ち」で小学校の建設を決意。娘のために積み立てていた貯金などを元手に95年、小学校を開校した。
志を受け継いだ明学大の学生らでつくるNPO「ジュンコ・アソシエーション」はディエンフック村や山岳地帯で活動し、小学校など7校で物資支援や交流行事を行っている。ジュンコ小の卒業生約40人の留学生も受け入れてきた。
「自由のために」毎日書き続けている。
自由が大事であることは言を俟たないが、ために教育も同じように大事である。
ところが、独裁国家ではきちんとした教育がおこわなれていないのは、勉強すれば独裁者とその一味だけがいい思いをして、民衆が苦しむことが誤りであることに気づかれてしまう。これでは独裁者の意のままの政治ができなくなるからだ。
反対に教育に力を入れていれば、人材が育ち、国が豊かになることもまた間違いない。
ベトナムに小学校を作った95年といえば、南北統一から20年に満たず、教育資金が十分確保できないときだったから価値があった。
小学校といえば、わが家の母方のご先祖は寺子屋で貧しき人たちに読み書きなど教えていた。
教えを受けた住民たちが貧しい生活の中からカネを出し合い感謝の気持ちで石碑を建立してくれた。
あれから幾星霜、いろいろあって、現在は本家の南西側の墓地の裏にひっそりと建っている。
旧道に面した本家の人目に付く場所に移せばいいのだが、亡くなった主がご先祖の偉業を理解せず、人目につかないところで知る人ぞ知る存在となってしまっている。
ジュンコ小学校に感謝しているベトナムの人たちの方が有難みがわかっているのだろう。
寺子屋で勉強していた近隣の貧しき人たちの感謝の気持ちをないがしろにしていることが残念でならない。
教育を受けることで、親日の人が増えれば、日本にとっても価値があることだ。
技能実習生でやってくるベトナムの若い人が犯罪者として捕まる例が後を絶たない。
制度に問題があるが、このままではベトナム人が嫌われてしまう。
高橋淳子さんの思いが実現したことで、さらなる友好関係が進むことを期待したい。
2023年12月16日
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