2023年12月10日

東京都江戸川区立小松川中学校夜間学級

 「SDGs@スクール」というタイトルに「夜間学級 世代・国籍超え学ぶ」「昼間部の生徒と部活動や行事」という見出しで、12月6日の読売(高貝丈滋記者)が東京都江戸川区立小松川中学校で学ぶ生徒のことを伝えている。
 SDGsとは持続可能な開発目標ということらしいが、この学校は二つの中学校と夜間学級、特別支援学級が統合して2023年の春誕生した。
 夜間学級と中間部の生徒が一緒に部活動や行事を行っている。
 夜間学級には、様々な事情で中学校に通えなかった人や外国籍の人など、10〜80歳代の37人が通う。
 「学びたい」という気持ちが世代や国籍を超えて全員を結びつけている。

 紙面に紹介されているのは夜間学級1年の佐藤紀樹さん(53)。
 勉強が嫌いだったが、学校の配慮で中学校は卒業できた。15年前、トラック運転手として働いていたとき、新聞の活字が読めず、小学生の娘に「お父さん、漢字大丈夫?』と心配されたことを契機に「学び直す機会があれば」と思い始めた。
 2年前、脳出血で8か月間寝たきりで過ごした後、右半身が不自由ながら歩けるようにはなった。
 2015年に中学既卒者でも夜間学級に入学できるようになっていたことを知る。
 通いたいと口にすると「今さら行ってどうするの」と妻は否定的だった。
 それでも、入学後、夜間中学校の体育大会に妻が姿を見せ、玉入れで頑張る佐藤さんに拍手し、「きちんと卒業しなさいよ」と励ましてくれた。
 この秋、佐藤さんは、所属するSDGs部で昼間部の生徒と一緒にパンジーの植え付けしている。


 山田洋次監督『学校』で夜間中学のことを取り上げていた作品を観ているので、夜間中学のことは知っていた。
 漢字が読めないといえば、文字が書けないことをコンプレックスとして抱えていた女性を知っている。
 今時、と考える人がいるかもしれないが、学校に行かれなかった人がいるのだ。
 だから、病院に行くとき、ご亭主に「一緒に行ってもらうのだ」と恥ずかしそうに言っていた。
 もう一人の女性は糖尿病だったかで、視力が低下し、病院に一緒に行き、診察の申し込みを書くとき、字が見えないから「書いて」とお願いされたことがあるが、この人ももしかしたら、字が書けないことを隠していたかもしれない。
 二人とも若い頃貧しかったらしい。

 夜間中学で学びたいという人の気持ちを自分は理解できる。
 団塊の世代の一員としては、若い頃、全共闘運動の全盛期だったから、学校にも行かず、勉強もきちんとやってこなかったが、とりあえず卒業はさせてもらったことが自分の負い目になって生きてきた。
 50代半ばを前に、病気加療を理由に早期退職し、通信教育ではあったが、大学に行き、卒論も書いて、何とか卒業できた。このとき、還暦を迎えていたが、達成感があって気分がよかったことを思い出す。

 読み書きどころか、話せない中国残留孤児と呼ばれる人たちのことも知っているが、子どもたちは日本語学校で日本語を覚えすぐに日本に馴染んでしまうが、親世代は言葉を覚えられないので、団地でひっそり暮らしていた。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周っているとき、近くに遊女、女郎と呼ばれし女性たちの慰霊碑や墓碑があれば、必ずお参りしてきた関係で、彼女たちの中にも、学校に行かせてもらえず、文字が書けない、読めない人が少なからずいたことを知っている。
 文字が読めない、書けないということは想像を絶するほど辛いことだということを知ったのは、実際に文字が書けない女性と接したからにほかならない。
 
 夜間学級は勉強するときの一つの機会として素晴らしいもので、やる気さえあれば、勉強はできると声を大にして言いたい。
posted by 遥か at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育
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