NHKスペシャル「シリーズ 食の“防衛線” 第二回 牛乳・肉・卵 タンパク源を守れるか』を視聴することができたので、第一回に続いて、書いておく。
「食料自給率38%の日本。自らの食を守れるのか?シリーズ「食の“防衛線”」第二回は、ニッポンの食卓に欠かせなくなった牛乳や肉、卵などの畜産物。主食コメに次ぐ日本人の摂取カロリーの重要な食材で、貴重なタンパク源でもある。
しかし、家畜のエサの多くを海外に依存してきた日本の生産現場はかつてない危機に直面している。世界的な飼料高騰、さらなる争奪戦。食卓を守るためには何が必要か。酪農の現場から見つめる。」と㏋にコンセプトが書いてある。
「自由のために」毎日飽きもせず、というより書かないではいられない病気みたいなもので書き続けている。
生きていくとき、誰が何と言っても「自由」が一番大事であると考えているが、そうは言っても人間だから、食べることは欠かせない。
だから、自由のためにも食料の確保は必須である。
コメの生産が危機に瀕していることを書いたので、牛乳や肉、卵などの畜産物もまた危機に瀕しているどころか、酪農、畜産を廃業する人が多いことは知っていたので、無策の自民党政権を打倒し新しい政治の流れをつくらない限り、酪農、畜産業は救われない。
食料は無論のこと、家畜の飼料だって自給自足が基本であるにもかかわらず、輸入に頼ってきたことが大きな間違いだった。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校は近くの分校に3年生まで通い、4年生から2キロくらい離れた本校に行き、そこで初めて給食があった。当時の給食といえば主食がパンだった。
語り継ぐ戦争の立場かつ団塊の世代の一員としては敗戦国で食料がなかったから、パンに牛乳ではなく米軍からの施しの脱脂粉乳だった。
勝者米国は小麦を生産し、輸出するためにコメを主食にしている敗戦国日本人の食生活を変え、コメ離れさせようと企んだのであろう。
子どもの頃、コンビニなどあるはずもなく、コロッケ屋と呼んでいた総菜を売る店が近くにあったくらいで肉屋など近くになかった。
豚肉の細切れを買い求めて食べたくらいで、牛肉など食べたことがなかった。
因みにカツカレーを初めて食べたのは大学1年生のときで、ランチ食堂に一緒に行った友達が注文したのを見てからだった。
社会人になってからは、昼食にしても肉ばかり食べていたような気がする。
それが原因で炎症性腸疾患クローン病になってしまったのかもなどと思ってみたりもする。
病気になってからは食事制限で一切肉を口にしなくなったが、米国の思惑は見込みどおりうまくいったのではないか。
そんな自分が今や、秋田の大館から取り寄せているロシア製の黒パンを毎朝、食べているのはライ麦は体にいいというからだ。
コメも口にすることが少なくなった。
さて、酪農畜産家がどれ程大変な思いをしているか考えたことがあるだろうか。
生き物だから、毎日、決まって食べさせなければならないし、豚コレラ,BSEなど病気になるし、ということで、休日がないのだ。
これでは後継者が育つわけがない。
さらに、多頭数飼育を取り入れるようになった牧場では飼料が自給自足できなければ飼料代金がかさみ赤字経営になってしまう。
これからの酪農、畜産業は少数飼育、飼料を自給自足するようなことが欠かせない。
つまり、食料は当然のこととして、飼料だって、自給自足していかなければやっていかれないということだ。
2023年12月07日
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