2023年09月28日

救済法対象外の原告らを「水俣病」と認定

 メチル水銀を含む水が流された不知火海沿岸で暮らしていたのに、水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかったとして、大阪府などに住む128人が国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。達野ゆき裁判長は、沿岸で暮らした原告ら全員を水俣病と認め、1人あたり275万円の賠償を命じた。とメディアが伝えている。

 9月27日の朝日のDIGITAL(森下裕介記者)によれば、同種訴訟は、熊本や新潟、東京地裁でも起こされ、初の地裁判決。原告らを幅広く水俣病と認め、特措法の運用見直しを迫る形となった。

 水俣病は1956年に公式確認された。公害健康被害補償法に基づく認定患者は3千人。95年に「政治決着」で約1万人に一時金260万円などが支払われたほか、2009年施行の特措法に基づき、特徴的な症状がある約3万8千人に一時金210万円などが支払われた。対象から漏れたり、申請できなかったりした原告らが提訴した。

 水俣病は、汚染された魚介類を食べることなどでメチル水銀に曝露し、発症するとされる。熊本県などは特措法に基づき、不知火海沿岸のうち、水俣湾周辺の一部地域に、68年までに1年以上住んだことなどを救済の要件としてきた。

 判決は、毛髪の水銀値の調査などを踏まえ、低濃度でも長期間、メチル水銀に曝露すれば発症する可能性があるほか、長期間たってから発症することもあるとした。

 その上で、魚介類の流通状況などから、特措法の対象地域外でも、不知火海でとれた魚介類を継続的に多食していればメチル水銀を摂取したと推認できると判断。水俣湾に仕切り網が設置された74年までに魚介類を多食し、感覚障害もある原告らについて水俣病と認めた。

 
 水俣病が公式確認されたのが1956年5月1日、私事ながら連れ合いが誕生した4月とほぼ同時期である。
 連れ合いの年齢分、年月が経ってしまった。否。実際はそれ以前から患者の苦しみは始まっていた。

 語り継ぐ戦争であるが、昭和の時代といえば、大きな出来事といえば、300万人以上もの人々が犠牲になったアジア太平洋戦争が筆頭に上がる。
 次いで、水俣病が昭和史における忘れてはいけない出来事として記憶された。
 戦争は日本が真珠湾攻撃をして始めたわけだから、日本の軍部に責任があり、迎合した国民にも責任の一端がないわけではない。
 しかし、水俣病の患者は不知火の海で生活していた貧しい漁民たちで、ただ、有機水銀に汚染された魚を食しただけのことだから、患者には全く責任がない。
 しかも、加害者の罪深いことに胎児性水俣病患者は生まれてから死ぬまで抱えきれないほどの苦しみ、重荷を背負わされている。チッソという会社が有機水銀が含まれた汚染水を不知火の海に流したばかりにである。
 原因不明だった当初はともかく、患者が出て明らかにチッソに原因があることがわかってからもである。

 今回の判決は、未認定患者からの患者だと訴える声を受け止め、患者であることを認めた上、チッソや国、県に賠償をするように言い渡したものでごく妥当な判決である。

 今日まで、ずいぶん長い旅路であったことであろう未認定患者たち。
 しかし、不十分であっても、患者として認められたことを共に喜びたい。

 社会科の勉強、修学旅行などで、一度は水俣を訪れる機会が多くの子どもたちに与えられるように願うばかりである。

 まだ、患者として認められていない人たち。患者として認められていても、苦しみは何ら変わらないことに思いを致せばせめて、少しでも、痛みが少なくなり、苦しみが緩和されるように祈るばかりである。
posted by 遥か at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題
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