にほんご、言葉のアルバム「いま風 金曜日」というタイトルで、著名人の発した言葉を新聞の紙面らしく紹介する記事が読売の夕刊にある(佐藤淳編集委員)が、その9月22日は「水俣の光奪った悲劇 次代へ」という見出しで水俣フォーラム理事長実川悠太さんが活動を通じて知り合った作家石牟礼道子さんの言葉が忘れがたい。と紹介しているのが冒頭の東京のイチョウの色である。
1990年代には、上京した作家をしばしば訪問先に案内していたある晩秋の夕暮れ、中央線の駅の改札をでたときのことだった
東京生まれの自分が『きれいだな』と思って見上げたイチョウが作家にはまるで違って見えていた。人、生物、風景の「健康な姿」を知っているからこそ、悲劇の根源に迫る本が書けたのだと思ったそうな。
『苦界浄土』を始めとする石牟礼作品が取り分け光を放つのは、漁師暮らしのまばゆいきらめきが描かれ、水俣病によって、患者が放り込まれた闇は深く、暗く感じられたからだ。
政治も道徳も語らず、素朴で名もない水俣の漁民たち。その暮らしと魂のあり方を作家は敬い、見上げるような目線で書き続けた。
水俣病60年記念 特別講演会が2016年5月、東京大学安田講堂で開催されることを知り、東京大学のあの安田講堂なら一度は行ってみたいという連れ合いと一緒に参加した。
連れ合いは公式確認された1956年の4月生まれだから、同い年ということもあったのだろう。
そこで、頂戴した「事件の遺言を人びとの手に 水俣病六十年」という小冊子が手許にある。
冒頭に石牟礼道子さんの「ほの明かり」というメッセージが載っている。
福島の原発事故のことで始まり、水俣病に関心を持つ人びとへ贈る言葉として、「この腐れ行く真暗闇の世の中で、皆様のまなざしだけがほの明かりだ」と結ぶ。
講演会で『苦界浄土』を読んでいなかったことに恥ずかしながら気づかされ、買い求めて読んだら、これは水俣に行かなければならないと激しく心を揺さぶられた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚ではあるが、知らん顔はできないと夏には行くと決心した。ところが、熊本に大地震が起きてしまい、翌年2017年の6月、その日は自分の誕生日という偶然もあって忘れられない訪問かつ慰霊の旅となった。
余談ではあるが、映画監督の森達也さんの話をこの講演会で聴くことができた。
その森達也監督が『福田村事件』を映像化した作品を観ることができ、何だか、繋がっていることの不思議さを思わないわけにはいかない。
関東大震災で不安に慄く人々によって、朝鮮人や中国人、朝鮮人と間違えられた被差別部落出身者、そして社会主義者などが殺された1923(大正13)年9月から100年。
1956年5月1日に水俣病は公式確認されたとはいうものの、実際の患者の苦しみはもっと以前からだということははっきりしている。
患者は当初、原因不明で村八分のような差別を受け、胎児性患者に至っては生まれてから死ぬまで苦しむために生きているようなものなのに原因企業のチッソとは異なり、本来味方のはずの政府や自治体が患者寄りではないため、今も認定されずに苦しんでいるひともいる。
石牟礼道子さんは原田正純医師同様立派であるが、水俣フォーラムの実川さんにも頭が下がる。
2023年09月24日
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