月に一度の映画館行き、5月は阪本順治監督、黒木華主演『せかいのおきく』を観てきた。
循環型社会で資源を無駄にすることがなかった江戸時代の幕末、安政から万延の時代、武家から庶民の長屋まで便所の汲み取りをし、集めたし尿を農家の畑の肥料に売る汚わい屋と呼ばれた職業に就いている貧乏な若者中次とその兄貴分に長屋住まいとなっている浪人と寺子屋で読み書きのお師匠をしているその娘の恋を描いている。
浪人といえどサムライの娘と汚わい屋では育った世界は違っていたが、父親の事件に巻き込まれた娘が声を失くしたことから、娘は若者と寄り添って生きていこうと決めるのだった。
阪本順治監督はタイの貧しい子どもたちを支援している日本の若い人の活動を通して、タイの人身売買や臓器売買を描いた『闇の子供たち』を映像化してくれたことがあった。
本作では、身分差別社会であった江戸時代の底辺に生きる若者が汚わい屋として差別されながらもたくましく生きている姿と循環型社会が上手く機能している様子も描かれている。
日雇い労働者の境遇を見事に歌った岡林信康「山谷ブルース」で、「俺たちいなくなりゃ、ビルもビルも道路もできゃしねえ」と彼らの叫びが聞こえてきそうな、汚わい屋の若者の叫びとして、俺たちがいなけりゃ、江戸中が困るじゃねえかというのがあったが、まさにそのとおりである。
汚わい屋だからといって差別するわけでなく、声を失くしても一途に中次のことを思うおきく。
読み書きができないコンプレックスを拭い去ろうとおきくの寺子屋で読み書きを始める中次。
手が届かないところに去ってしまった若さを取り戻すことなどできるわけがないが、若さゆえに、恋ができるということで、スクリーンに映し出される汚物とは裏腹に気持ちは豊かになった気がする。
語り継ぐ戦争では、五味川純平『人間の條件』が小林正樹監督、仲代達也主演で映画化され、オールナイトで観たときのことをスクリーンの肥溜めを観て思い出した。
『仁義なき戦い』の山森親分で知られる金子信雄演じる桐原という下士官に意地悪され続けた主人公梶が怒って鎖で桐原を殴り倒し、収容所の便槽に突き落とすシーンがあったことを思い出した。
強烈なインパクトがあり、激しく心を揺さぶられた。
人間きれいごとだけでは生きていかれないということか。
2023年05月09日
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