「ズームアップ」という写真と文章で、生きるということの一断面を切り取る連載が続く読売の夕刊、その1月23日の「僕はヤングケアラーだった」という見出しと1Kの部屋で母親の遺影を椅子に座って見つめる青年の姿に激しく心を揺さぶられた。
青年と思しき男性は大阪市に住む川崎さん(44歳)だという。
3歳で父親を亡くし、心臓の弱い母、祖母と暮らしてきた。小3で家事を手伝い始め、人の容体が悪化するにつれ、負担は増した。中学はほとんど通えず、高校は定時制へ。
祖母が06年、母が17年に亡くなり介護が終わったとき、川崎さんは38歳になっていた。
介護のとき、家事の負担を減らすため、母と一緒に食事はミキサーで流動食を摂っていたが、今もその時の名残で固形物が呑み込めないので流動食のままだ。
友人、仕事、お金もなく、あるのは深い孤独だけだった。
そこから抜け出せたきっかけは20年、ヤングケアラーや専門家が集まる「ふうせんの会」との出会いだった。初めて自分と似た人がいて、「ヤングケアラー」と呼ぶことを知った。
2年ほど前からスーパーマーケットで働き始めた。仕事を探すとき、履歴書は空白だったが、理解ある職場に出会えた。
経験を講演で語ることも増え、最近は支援する側にも立つ。
親ガチャなどという言葉が飛び交う一方で、親や祖母の介護を担うヤングケアラー。
厚生労働省の2021年度の調査で小学6年生の6%超がヤングケアラーに該当するというのだから当事者は大変だ。
親が高齢になれば、子どもが介護の当事者になるのは当たり前のことだが、親が高齢になると子どもたちもそれなりの世代になっているのが一般的である。
ところが、ヤングケアラーと呼ぶくらいだから、親がさほど高齢というわけではないにも拘らず、介護が必要になっている人たちがいて、その家族の子どもは必然的に介護をせざるをえなくなっているのだ。
親が亡くなると、今度は介護のときのツケを払うというか、学業、収入、友人などそれまでに構築できなかった生活の礎を築いていかなければならない。
昔、付き合いのあった青年は、両親も親戚もなく、友人と呼べる人もおらず、孤独かつ精神を病んでいて食事を作ることも困難だった。
それでも、賢くて、気立てがよく、自分が世話になっていることは十分理解していて、一緒に食事をした時、食事代を支払うと言い出し、慌てて、そんな必要はないからと断ったことを覚えている。
かつて、貧しい家庭の犠牲となり、人身売買で遊廓で搾取され続けた女郎と呼ばれた女性がいたが、ヤングケアラーと重なってしまう。
人生バランス論ということを唱えている自分から見れば、今まで苦労した分、これからはきっと幸せをつかめるはずだと川崎さんにエールを送るとともに、ヤングケアラーとして頑張っている皆さんを励ましたい。
人生、頑張った分だけ、佳いことがあるものだと。
2023年01月25日
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