2023年01月18日

子どもの成長に涙できるなら先生としてやっていける

 「教育ルネサンス」というタイトルで長期にわたって連載が続く読売。その1月17日は「先生」第1部向き合う6⃣で、東京練馬区立豊玉南小教諭川内歌菜さん(24)が「24歳教室が『わたしの居場所』」「コロナ禍児童の成長支えに」という見出しで、2020年に赴任してから、今日に至るまで新米教師が子どもたちと一緒に成長していく様子を伝えている。

 大分県山国町(現中津市)は山深い地域で生まれ、同居していた祖父母と同居する家庭は「安心できる居場所で育まれた川内さん。
 子どもにとって、学校が「居場所」になってほしい。だから話を聞く。相手を認める。一人一人に心を配る毎日だ。

 学校の毎日は忙しい。休み時間も立ちっぱなしで、座るのは給食を食べるときだけ。授業準備に追われ、帰宅が深夜になる日もある。
 「子どもたちが学校にいる間は『仕事している』という意識はない。一緒に学んで、遊んでというのが楽しくて」という川内さん。

 1年目のとき、新人の指導役だった根本裕美さん(62)は「悔しいとき、うれしいとき、感動した時、泣いたことが10回以上あった」「子どもの成長に涙できる。この子は先生としてやっていける」と確信したそうな。


 首都圏の田舎町に生まれ育ち、小学校は近くの分校に通い、4年生から本校と呼んでいた少し離れたところにある学校に通った。
 4年生から6年生までクラス替えなどなかったが、担任の先生が産休になったとき、産休代替えの眼鏡をかけた翠先生がやってきたのである。
 今、思えばとても佳い先生だったが、当時は、担任に慣れていたからか、あるいは反抗期がやってきていたのか、先生の言うことを聞かず困らせ、泣かせてしまったことがある。
 翠先生は言うことを聞かないガキどもを何とか手懐けようとしたのか、よく合唱をさせた。
 「サラスポンダ」は今でも覚えている。

 大人になってから、産休代替えの先生をいじめたことが負い目というか気になっていつか謝りたいと願っていた。
 ある時、忘れもしない眼鏡の翠先生が新聞に載っていたのを見つけたのである。
 自宅で文庫活動をなさっているとかで、写真も掲載されていたと思う。

 住所はどうやって調べたのか不明であるが。手紙を書いたところ、返信があったのである。

 翠先生は自分のことを覚えていると話を合わせてくれたが、目立つ存在ではなかった自分のことだからそんなはずはないと思いつつ、あの時の翠先生であることはまちがいなかった。

 この話はフィクションではない。

 自分にとっては、担任の先生よりインパクトがあった。
 今でも、先生をいじめてしまったことを悔いている、
 
 さて、24歳の川内歌菜さんのことを書いていて、自分が小学校の時産休代替えの翠先生のことを思い出すことになってしまった。

 小学校には限らないかもしれないが、子どもにとって先生の存在は親の次に大きな影響を受けるものではないか。

 まだまだ新米教師ではあるが、このまま、フレッシュさを失うことなく教室が私の居場所であり、子どもたちの居場所であるように教師として、さらに力をつけて、がんばってもらいたい。
 エールをおくりたい。
posted by 遥か at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育
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