2023年01月06日

声かけで番長の心を開く教師

 「教育ルネサンス」<先生>第1部 向き合う2、1月5日の読売教育投書の紙面に「声かけ続け 番長の心開く」という見出しに興味を惹かれた。

 新潟県上越市立直江津東中学校長相澤顕さん(59)が4度目の赴任となった同校では2度目の勤務した当時のことが忘れられないという。
 中学校が荒れていて不良グループがやりたい放題で困った教育委員会など関係者が体育教師で柔道の有段者である相澤さんを赴任させることにしたらしい。
 教員仲間も相澤さんの力による不良グループの排除を期待していることがわかったが、相澤さんは力による彼らの排除ではなく、彼らときちんと向き合い、体を張って彼らに声かけ続け、リーダーである番長の心を開き、若い彼が余らせているエネルギーを柔道に取り組ませ、猛練習した番長ほかの部員は夏の県大会で上位に入るというそれまで考えられない実績を残した。

 番長だった布施和馬さん(35)の中学生活は、3年制で相澤さんと出会い、ガラッと変わった。「話を聴いてくれる先生も、期待してくれる先生もいなかったけど、相澤は違った。しつこく声をかけて、心配してくれた。中3の1年がなければ、高校進学も、会社を作ることもなかった」と当時を振り返る。

 「先生次第で子どもは百八十度変わる。見放さなければ、必ず応えてくれる」という相澤さん。
 定年後は、居酒屋を開き、かつての教え子や教員が集える居場所作りをするのが夢だという。


 どこかで耳にした佳い話だなと思ったら、NHK「プロジェクトx」で放送された「泣き虫先生とツッパリ生徒たち」の伏見工業高校ラグビー部の山口良治監督のことだった。
 中島みゆき「地上の星」の主題歌が絶品だった。
 NHKプロジェクトx制作版今井彰『プロジェクトxリーダーたちの言葉』(文藝春秋)を買い求めていたので、手許にあるのを確認したら、71ページに「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール。一人はみんなのためにみんなは一人のためにという山口良治さんの言葉が紹介されていた。


 相澤顕さんは豪雪地帯の松之山町(十日町市)の農家の出身。ミレーの絵画ではないが、少年時代は稲刈り後の田んぼを歩き、落穂拾いをするのが仕事で、父親から「一粒も無駄にするな」としつけられた。
 高校生の頃は勉強は苦手だが、面倒見がよいことから、仲間から先生になれと使い古しの参考書をもらったそうな。
 猛勉強して東京の大学に合格し、アルバイトで食いつなぎ、田舎に帰って教員になったという。

 教員になる人は、まず学力が問われるので、勉強ができる人が多いが、不良になったり、不登校になったり、いじめられた経験も少ない人たちだ。

 だから、いじめの問題も不良たちへの接し方も知らないし、まして、不登校など落ちこぼれの気持ちがわかる人は少ない。
 だから、いじめなどの問題を解決する気力も能力もない。

 自分の母方の祖父は校長だったし、父親は、戦地から無事引き揚げて来てから教員をしていて、在職中に病死している。
 ただ怖いだけの父親だったが、病気で亡くなるとき、当時、手術で輸血したから、その血液を返せと病院から言われ、教え子たちが奔走して、血液を集めてくれたり、亡くなってから10数年経っても墓参りに教え子が来てくれたのを見ていたら、教員としては子どもたちに信頼されていたのだろうと推察する。

 だから、相澤さんの「先生次第で子どもは百八十度変わる。見放さなければ、必ず応えてくれる」という言葉は重い。

 この言葉を旭川で女子中学生が性的なハラスメントを受け、雪の降るベンチで凍死させられるといういじめた生徒たちに事実上殺害されたのも同然の中学校の教員たちに贈りたい。

 学校を卒業し、人生経験も少ない人たちに教員という職業は厳しい。
 塾みたい二勉強の面倒を見ていればよいなら、まだしも、悩みを抱える子どもたちに向き合うにはある程度人生経験であったり、武道の心得があったりときちんと向き合える人材でなければ無理ではないか。

 相澤さんが退職したら、その後を引き継ぐ人が育っていればいいが・・・・。
posted by 遥か at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育
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