語り継ぐ戦争だから、書く内容がどうしても冥。
山崎ハコの歌ではないが、気分を変えて偶には明るい話題を取り上げたい。
「事実、想像を超える温泉地、新潟県。」という見出しというかキャッチコピーが躍る紙面、10月29日の読売。
温泉エッセイスト山崎真由美さんが「今こそ、『温泉天国』新潟へ」と新潟観光というか、全国3位の144の温泉地がある新潟県の温泉に行こうと呼びかけている。
個人的なことで恐縮であるが、30数年一緒に暮らす連れ合いの両親が新潟県は妙高の村の出身であることから、新潟に格別な思い入れがある。
飲食店を営む連れ合いの身内が勤め人だった頃、30数年くらい前のこと、新潟の店へ転勤を命じられたことがあり、その頃、一度車で上越に行ったことがある。
その時、良寛さんで知られている出雲崎、寺泊、もう少しで村上という日本海側をドライブし、高田と直江津が合併し上越市となったという街にある上杉謙信の資料館?だったかは訪れたのだが、春日山城址に上らなかったことを今でも悔いている。
このときは上越と新潟市内で2泊した。
その後、連れ合いの母親が「もう自分は故郷に行くことができない」とつぶやいた望郷の念やみ難しという気持ちを汲み取り、2度妙高を訪れた。
初めて訪れたときは、別の村に住む父方の叔母の嫁ぎ先にあいさつに立ち寄り、その後で、今では9軒しかない限界集落となっている村に一族の本家を訪ねた。叔母の案内で一族の墓にも案内してもらった。
泊まったのは赤倉温泉だった。
2017年8月に佐渡と語り継ぐ戦争で長岡を訪れた。
佐渡では水金遊廓跡を訪れ、本興寺にある女郎柳川と虎吉の情死の墓にお参りした。
長岡では戦災の犠牲者のお参りをし、河合継之助と山本五十六の記念館を訪れた。
温泉には生憎興味も関心もないから、144か所もあるという新潟の温泉では赤倉温泉にしか泊まったことがないが、湯もいいし、鄙びた温泉の雰囲気があってよかった。
というようなわけで、新潟に格別の思い入れがあるため、東京の表参道にある新潟のアンテナショップに数回行き、土産を買い求めたり、食事をしたこともある。
興味と関心のある古民家暮らしを実践しているドイツ人カールベンクスさんの十日町竹所も新潟だった。
新潟は芸能の面では瞽女さんが伝承してきた歌や三味線で知られているし、津軽三味線の2代目の高橋竹山さんも確か、新潟の柏崎だったかにお住まいだとか。
スポーツの分野では詳しいことはわからないが、アルビレックス新潟という名前をよく目にする。
阿賀野川流域での水俣病という問題があった事も忘れてはならない。
新潟はその名が越後の時代から、雪という自然界が与えた魔物との戦いが続く。
雪がなければ、住みやすい街だと断言できるが、雪があるから、雪解けの豊かな水でうまい米、美味い酒が造れるということで、雪といかに協調していくかが課題となっている。
新幹線ができて便利になったから、もう一度新潟には行ってみたい。
衰退するばかりの日本に必要なリーダーとして上杉謙信を見習った人物の登場を待ち望んでいる。
2022年11月02日
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