昨日は春の嵐としか表現のしようがないほど首都圏にも強い風、暴風が吹きまくった。
春は花粉症で悩まされてもいるので、連日のように強い風が吹く春はいつの頃からか大嫌いになっている。
いくら大自然の摂理だと言っても風が吹いた後、決まって雨が降るという順だから、埃が舞い、花粉がまき散らされることになる。
日曜日の朝、目が覚めてからNHK「マイあさラジオ」で落合恵子さんの絵本の紹介を聴いてから起床するのだが、朝食の準備をするときは、ラジオからTVに交代し、食事後、洗濯を干すときはまたラジオを聴くのが習わしだ。
そのTVもNHKだから「目撃!にっぽん」を放送していたことに途中で気づいた。
番組の㏋によれば、「東京・池袋の公園で行われている「炊き出し」。コロナ禍が長引く中、1つの弁当を求めて並ぶ人は後を絶たない。なぜ、ここへたどり着いたのか。それぞれの人生を見つめた。
きれいなコート、片手にはスマホ。一見生活に困窮しているようには見えない若者や女性も列に並ぶ。
東京・池袋の公園で行われている「炊き出し」。コロナ禍が長引く中、並ぶ人の数はリーマンショック後を上回り、過去最多となった。
仕事と家を同時に失い、はい上がるきっかけを探す人。将来への不安から食費を切り詰める人。現場からは“底”が抜けかけた日本の現状がかいま見える。集まる人たちの人生を見つめた。」と内容の説明がなされていた。
団塊の世代で、かつ、首都圏の田舎町に生まれ育ったから小学校3年生まで近くの分校で、少し離れた本校に移った4年生から学校給食が始まった。
当時は、わが家に限らず貧しかったので、はっきり言って、いつも腹を空かしていた。
父親が教員だったからわが家が貧乏だったということはなく、ストレス解消のために父親が休日、農業をやっていたので、おやつはサツマイモやジャガイモ、サトイモなどを食べていたから、今考えてみれば、贅沢だと言ってもいいかもしれない。
しかし、その父親は子どもの頃、貧しい家庭で育ち、苦学して教員になったとかで、子どもがいなかった祖父母のわが家に養子となった経歴から、食事を残したりすることは厳禁だった。
父親が53歳で病死してから、それまで、主婦だった母親が生活を支えるために働きに出てくれたお陰と父親の退職金で学校に行かせてもらったから何とか普通のくらしができた。
そんな自分が貧困問題で政治に対し怒りを覚えるようになったのは、やはり、寒村で身売りされた少女たちの存在を知ったからにほかならない。
池袋やその他の地域で炊き出しを実施てくれているスタッフの労苦には頭が下がる。エールも送る。
しかし、なにかといえば、他国に援助してきた政府が日本で災害時でもない平時に炊き出しに並ぶ人たちが多数いることに政治家は心が痛まないのか。という疑問がわく。
炊き出しに並ぶ人が「一度堕ちたら這い上がるのは難しい。でも、普通にスーパーで買い物ができるような暮らしに戻りたい」という炊き出しに並ばないで食べていける生活を願う気持が痛いほど伝わってきた。
語り継ぐ戦争だから、戦後、焦土と化した東京には戦災孤児が多数、食料を求めて彷徨していた。
ロシアの侵略にさらされているウクライナでは飢え死に寸前に追い込まれている住民が多数助けを待っている。
しかし、池袋の炊き出しは平和な日本の日常の風景となっている。
炊き出しに並んでいる人の自己責任ではない。やはり、政治がおかしいからではないのか。
2022年03月27日
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