2021年10月25日

炭坑節に隠れた炭鉱事故を語り継ぐ

 10月16日、93人が犠牲となった北海道夕張市北炭夕張新鉱ガス爆発から40年ということで、16日の読売が「炭鉱事故 伝える使命」「83歳元坑内員語り続ける」という見出しで、人口減と高齢化が進む中、事故の記憶を後世に伝えようと、夕張市の石炭博物館で語り部を続ける元坑内員安部秀一さんが伝える事故の様子は恐ろしい。

 事故発生時、安部さんはガスが突出した現場から500b上で作業中だった。煙で一時気を失ったもののすぐに意識が回復して脱出。救助隊に加わり、坑内で倒れている仲間を担架で運んだが、すでに息絶えていた。

 「事故の一週間前から山鳴りが起きるなど、前兆はあった。丸1日入坑せず、ガスを抜く作業をしていれば、事故は防げた」と今も北炭への恨みを抱く。

 事故で閉山後、職を失い、北海道内外を出稼ぎしたが、思い出が詰まっている夕張を離れたくないと今も坑内員用の共同住宅に住む。

 閉山で、夕張の街は寂れ、かつて10万人を超えた人口は約7000人にまで減少している。

 炭鉱事故といえば、1963(昭和38)年11月9日、、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川坑で発生した炭塵による粉塵爆発事故で、 死者458名、CO中毒)患者839名を出した戦後一番大きな事故があった。
 中学生だったが、このニュースは覚えている。

 炭鉱事故のことは1941年の作品で、ジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』を思い出す。
 
 夕張といえば、1977(昭和52)年公開された山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』で、地域おこしというか、街の活性化に役立ったはずだが、年月が経ってしまった現在は、夕張といえば、夕張メロンくらいしか浮かばない。

 コロナ禍で2020,2021年と中止になってしまったが、盆踊りの定番は炭坑節で、なぜか、首都圏の田舎町でも子どもの頃から炭坑節が盆踊りで流れ、会場の寺の境内を盛り上げていた。

 炭坑節といえば、「月が出た出た」の三池炭鉱が舞台の民謡が定番だが、子どもの頃は「朝も早よからカンテラ下げて」という常磐炭坑節も流れていたような記憶がある。

 語り継ぐ戦争と遊女、女郎と呼ばれし女性たちの供養のために訪れた佐渡で、金山を見学したが、金山の底では、無宿人たちが水替え人足として過酷な労働に耐え、地の底から上がった男たちは水金遊廓で女を抱き、働いて得たカネを楼主たちに巻き上げられていた。
 事故で亡くなった無宿人たちの供養も遊女、女郎だった女性たちと同じようにしてきたが、忘れられない旅になった。

 地球温暖化で、化石燃料の時代ではなくなったが、わが国公害の原点足尾鉱山の鉱毒をはじめ、炭鉱事故では労働者など弱い立場の人間が犠牲となっていることを忘れてなるまい。

 炭鉱町だった夕張を活性化させてやりたい気持ちはあるが、さて、どうすればいいのか。栄枯盛衰は世の常だからIRリゾートを誘致するくらいしか思いつかない。  
posted by 遥か at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域おこし
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