昨日、今や、正月の風物詩となっているといっても過言ではない箱根駅伝の応援で、2区、戸塚の権太坂から不動坂、中継所まで残り、4キロ弱の戸塚区矢部町辺りに行ってきた。
自分にはもう、選手を追っかけるだけの気力がなくなってしまったが、家族は次の4応援場所、4区小田原に向かった。
後で聞いたことだが、大東大の選手が東京大手町の読売新聞社前をスタートして、すぐに転倒し、足を痛めたらしい。それでも、彼は仲間のため、何とかタスキをつないだとのこと。
タスキをつなぐといえば、2019年も、おそらく、格差、貧困問題が社会問題として、解決が求められ、心ある人がタスキをつなぐように皆で助け合うことになるであろう。
12月30日の読売が時の人を紹介する「顔」で貧困家庭支援に取り組み10年という見出しで、米山けい子さん(65)をとりあげていた。
読売によれば、米山さんは放っておけば廃棄されてしまう食品を困窮家庭に無償提供するフードバンク活動を続けている。
賞味期限が迫ったりして捨てられる前に、企業や家庭から寄付してもらう。生協の理事長時代「まだ食べられるのに」と疑問を持ち、退職後の2008年、自宅に事務所を構えた。
NPO法人化から間もない09年11月、「明日のパンを買うお金もない」と4人暮らしの女性から連絡が入った。女性の看病をするために夫は仕事を辞めており、経済的に追い込まれ、冬でも暖房を使わず、子ども2人と共に厚着をして体を寄せ合っていた。
食品を直接渡すと相手が気後れしかねないため、宅配で提供する工夫をした。
2018年8月までの9年間で、2万6000件の提供を重ねた。
感謝の手紙に温かい縁を感じているそうな。
ネット『からっぽの冷蔵庫 見えない日本の子どもの貧困』 によれば、米山さんは、その活動が認められ、2017年第2回賀川豊彦賞を受賞しているとのこと。
賀川豊彦といえば、「貧民街の聖者」として世界的な知名度が高い人物で、賀川豊彦賞といえば、貧しき民のためにがんばる人たちを顕彰するものであろう。
貧しき人に手を差し伸べる活動を10年も続けてきたことを見る人は見ているということか。
「フードバンク山梨」理事長という肩書だが、フードバンクのことは以前、何回か取り上げ、その活動に携わっている人にエールをおくったことがある。
そのとき、「フードバンク山梨」の名前も耳にしている気がするが、食品ロスをなくすため、賞味期限の迫った食品をフードバンクとして集め、明日のパンを得るにも困っている貧しき人たちに渡すという取り組みは素晴らしいもので、米山さんに限らず、関係者を大いに称えたい。
フードバンクは、個人ばかりでなく、子ども食堂を運営している人たちにも提供していると思うが、貧困家庭支援という点では、もう一つ実現できたらと願っていることがある。
それは、都市近郊で自分の家庭で食べるため、あるいは、農協などで販売するために野菜を作っている農家などの畑を周り、売り物にならない野菜を無償で提供してもらい、子ども食堂などで賄い食材に使うことができないかということ。
農家が無償で提供することはさほど難しいことではないはずだが、集める人たちがいて、その人たちが信用のおける人たちであることが何より大事で、そういったNPO法人があれば、農協などを通じて、農家の社会貢献事業として、実現できるのではないか。
駅伝で足の具合がよくなくても、次の走者にタスキを渡すため、がんばった選手を見て、タスキをつなぐことの大切さを痛感した。
2019年01月03日
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