2019年01月02日

貧困と孤立なき社会へ

 正月三が日のうち、元旦は自宅でくつろぎ、2日、3日は若い頃から箱根駅伝の追っかけ応援にでかけているので、あっという間に過ぎ去ってしまう。
 何しろ、50回大会から、今日、明日のの95回大会までだから、もう40年以上続いていることになる。
 流石に追っかけは寄る年波でできなくなってしまったが。

 TV中継が始まってから、沿道もTVに映りたい人たちで賑わうようになった。
 そのTVで今朝、「絆の物語」というタイトルだったかで、法政大学の坂東選手と福田選手の友情を取り上げていた。
 高校生のときから、互いのことを知っていて、福田選手が坂東選手に法政大学で一緒に駅伝をやろうと勧めたが、入学後、頭角をあら渡したのは坂東選手で、エースとして活躍するようになったが、福田選手は・・・。というものだった。

 法政大学といえば、社会活動家から法政大学の教授になった湯浅誠さんがいて、2008年の大晦日に、東京日比谷公園内に「年越し派遣村」が開設され、その村長を務めたことで知られる。

 あれから10年、顕在化した貧困・格差問題に向き合ってきた人は何を思っているのか。「貧困と孤立なき社会へ」という見出しで、12月30日の読売が「想う2018」でその思いを伝えているので書いておきたい。

 過去の活動では年末の年越し「派遣村」、今は「子ども食堂」を広めようと活動しているそうな。

 湯浅さんは1995年からホームレス支援をしてきたが、08年12月派遣切りされた人たちを救いたいと労働組合の人が派遣村運営の協力を要請してきた。
 炊き出しや宿泊テント設営のノウハウがあり、担がれる形で村長を務めることになった。

 マスメデイアで報道され、派遣村は日本の正月の景色を変えたと言われた。

 2000年代に入ると、ネットカフェ難民やワーキングプアなど、寝る場所はあっても食べていけないという人からの相談が急増した。
 これらを総称して「貧困」という言葉を使い始める。

 貧困には飢餓のような絶対的貧困と、すぐに死ぬわけではないが生活が大変な相対的に貧困がある。
 SDGsという国連が定めた持続可能な開発目標がある。貧困、格差をなくし、全員が平和と豊かさを享受できる社会を目指すというものだが、近年、重要視されてきている。

 貧困、孤独などで排除される人を作らないという点で、子ども食堂にはこの考え方と同じ流れにあるので、子ども食堂の普及に力を入れていきたいと情熱を注ぐ。


 内閣参与になったり、法政大学教授になったりで、社会活動家として、変節したと思う向きがあるらしいがご安心あれ、それほど変わっていない印象をうけた。

 身内に障がいを持った方がいるとのことで、やはり、自分が人生の師だと仰ぐ人のことが思い浮かぶ。
 勝手に自分が師と仰いでいるわけだが、師にも障がいをお持ちの身内がいて、生き方に大きな影響を与えているように思われる。

 湯浅さんもわが師も、弱者を理解し、弱者の味方である点が共通している。

 語り継ぐ戦争で、戦没された人たちの慰霊碑を巡ってお参りしてきたが、今のような、貧困、格差が目立つ社会にするために戦没されたわけではないだろうと思慮してきた。

 貧困を解決するのは、政治や行政の仕事だと思うが、それでは、間に合わない人たちが多数いて、その代表的なものが、子ども食堂に集い、食する子どもやその保護者たちであろう。

 慰霊の旅をしてきて分かったのは、自分の立ち位置でできることをやるということが大事だということ。

 行動を起こすことの重要さを湯浅さんの話で痛感させられた。
この記事へのコメント
いつも拝読してます。これから発信続けてください。
Posted by ゆい at 2020年08月25日 14:54
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185302765
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック