西日本豪雨、北海道胆振東部地方地震、大阪北部地震、台風21号大阪関空水没と災害に見舞われた2018年が行き、明けて2019年の正月を迎えた。
正月は、元旦にニューイヤー駅伝という名の実業団駅伝選手権の中継を視聴し、明日は箱根駅伝の応援で国道1号、正確に書くなら、、そのバイパス横浜新道の沿道に立つ。
何年か前までは、そこから、小田原に行ったし、その前は箱根町の芦ノ湖まで行っていたが、寄る年波で追っかけることはできなくなってしまった。
駅伝はいろいろな人々の協力で成り立つ。とりわけ、警察の協力が不可欠で、選手を先導するのは白バイの警察官である。
警察官といえば、西日本豪雨で住民を避難させるために活躍した警察官のことを第27回全国小学生作文コンクール「わたしたちのまちのおまわりさん」で高学年の部、内閣総理大臣賞を受賞した諏訪考太郎君が書いていた。
死者51人という岡山県真備町で、警察官が避難を呼び掛けにまわって来てくれたおかげで命拾いした、警察官はボクの命の恩人だというもの。
さらに、高学年の部、全国少年警察ボランテイア協会賞を受賞した小山結太郎君が、西日本豪雨で、市民を避難誘導中に土砂崩れに巻き込まれて死亡した警察官のことを「ゆうかんなけいさつ官」として、称えたものを12月20日と21日の読売が賞の主宰者として、掲載していた。
年の瀬になって、12月27日の読売「木枯らし2018」その7では、新聞記者になって6年半だという藤井亮記者が西日本豪雨で亡くなった警察官のことを書いていたので、警察官を称えるために書いておく。
7月12日、午後、西日本豪雨の現場取材で広島市の山峡にいた。
そのとき、「賢弘じゃ。賢弘が帰ってきた!」ふいに肩を抱き寄せられた。警察官の山崎賢弘さん(当時29歳)の母美智子さん(60)だった。
呆気に取られていると、人違いに気づいた美智子さんは「あんた、賢弘によう似とる。家族の誰よりも似とる」とつぶやいた。そうな。
賢弘さんは、7月6日、呉署から帰宅途中、濁流に行く手を阻まれ、6台の車が濁流に流されかけていたところに出遭う。
車の窓越しに声をかけ「一緒に逃げよう」と呼びかけた。
ガードレールに必死でしがみついた10人を新たな濁流が襲いかかり、他の8人を支えるように坂の下方にいた山崎さんと同僚の姿は見えなくなった。
遺体が見つかったとき、「普通に生活できるって、とても特別なこと。みんなに伝えて」と美智子さんが涙を拭いながら言った。
最後は、若い記者のこれからの決意で結ばれていた。
正月に1年の無事を祈るが、上述した警察官のような人たちのおかげで、社会が成り立っている。
職業を一つ一つ書かないが、自分の身を挺して、命を守ってくれた警察官に、自分もエールをおくるとともに、亡くなった警察官のご冥福を祈る。
2019年01月01日
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