2018年08月08日

「見番」新築で、街の活性化なるか

 昨日、9月に開催する予定の第3回の尺八ライヴに協力させてもらうため、リハーサルに帯同した。
 予算の関係で、合奏相手の箏の演奏家をプロに頼めず、代わりに連れ合いが合奏させてもらうということで、主催者側の強みで、かなり無理を通して実現させているが、関係者だけの観客にはそれでも大いに喜ばれている。

 さて、首都圏の田舎町に生まれ育ったから、東京23区は無論のこと、東京の市部、横浜、鎌倉などの神奈川などの街の動静にも大いに関心を持ってきた。

 東京の市部で歴史のある街、広くて、人口が多い街といえば、八王子であるが、街づくりが上手くいかなかったのか、今や、市部で一番賑やかな街は立川になってしまった。
 その証拠に、駅前は賑やかでなく、東京地裁の支部がいつの間にか八王子から立川に移転している。

 しかし、絹織物の産地として、歴史のある街だから、その昔の八王子には接客業のプロ、芸妓衆が最盛期には215人を数えたが、絹織物産業の衰退共に芸妓衆の数も80年代には9人にまで減ってしまった。
 危機感を抱いた人たち、置屋「ゆき乃恵」をとりしきるめぐみさんらが八王子芸妓の復活を呼びかけ、現在は21人にまで回復し、花街を支える八王子三業組合の事務所「見番」が60年ぶりに新築されたと7月29日の読売が伝えていたそうな。

 基地の街だった立川には、戦後、米軍の進駐と共に生活のために米兵相手に春を鬻いだパンパンと呼ばれた女性たちが多数いた。

 同じような、接客業ではあるが、三味線、踊りと芸を身に着け、それなりの矜持を抱いた女性たちと躰を張って、星の流れをみつめて生きてきた女性たち。

 あれから幾星霜、基地の街では、米軍からの基地返還が進み、併せて、国営の昭和記念公園を誘致し、モノレールの駅を誘致、国営の病院(今は独立行政法人かも?)あり、さらに、北口の駅前開発に成功し、ついに、正月の箱根駅伝の予選会を誘致するまでになった立川。

 一方の八王子はといえば、駅前の開発が上手くいかなかったようで、中央線と京王線があるにもかかわらず、両駅が離れていて、不便この上なく、東京地裁の支部も立川に移転されてしまうという事態にようやく、危機感を募らせたのが、行政ではなく、芸妓衆だった。

 絹織物の所謂繊維業の衰退といっても、栄枯盛衰はいずこの世界でもつきもので、伝統あるものは、そこから、関係者の工夫と努力で盛り上げていけばいいのである。

 その点、接客業のプロの存在は心強い。

 接客業はどこの街にもあるが、芸妓衆はいきなり連れてきて、街に馴染むというものではないから、伝統の力で、続いてきた接客業を盛り立てることで、街の活性化にもつながるというものではないか。

 「自由のために」毎日書いているが、伝統芸能、伝統工芸は日本大好き人間の一人として、よく取り上げてきた。

 花街には、芸妓と、自由を奪われ、廓で生きることを余儀なくされている女郎とよばれし女性たちがいた。

 芸妓の所属している置屋、料理屋、待合などの三業種の組合の事務所とされる「見番」は、「検番」とも書くが、三味線や踊りの稽古などをする芸妓にとって、大事な稽古場でもある。

 八王子芸妓を盛り立てようと、読売の記者もよく記事にしてきたみたいだが、八王子では接客業のプロをとりあえず、観光資源としていくらしい。
 芸妓には伝統芸能の担い手としてエールをくりたい。

 若い人の就活に、接客業の一つとして、各地での芸妓への就職ということも選択肢の一つになることを伝えてきた。
 
 これからの日本は景観と神社仏閣などの豊かな観光資源と共に祭りや伝統芸能、工芸など人々が織りなすものに芸妓のおもてなしが加味され、観光客が世界中からやってくるだろうと見込まれる。

 卒業した大学の名前を聞くと、恐れ入る演奏家も安定した仕事を捨て、芸能の道に進んだとのことだが、生活の安定とは程遠く、何とか、力になってやりたいと応援してきた。

 芸の道は厳しいが、それでも好きなことで食べていけるなら、それはそれで、いいのではないか。
posted by 遥か at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能、伝統工芸
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