2018年04月30日

スターリンとオウム真理教教祖に苦しめられた竹内さん

 「生きる 語る」と題した優れた連載を読売が続けているが、昨日、4月30日に、オウム真理教と戦った上九一色村、富士ケ峰集落、現在の富士河口湖町の竹内精一さん(90)の人生を取り上げていたので書いておく。

 富士山麓で生まれ育ち、旧制小学校高等科のときに太平洋戦争が始まり、軍人になる願いは色覚異常で断念し、満蒙開拓義勇軍に入り、満洲に渡る。
 1945年8月9日未明のソ連軍の満州侵攻で、徴兵されるも、終戦となり、ソ連の捕虜となって、シベリアに連行され、4年間の抑留生活を経験する。

 当時、17歳、酷寒の地で、貧しい食事に栄養失調の体でありながら、露天掘りの炭鉱で、過酷な労働に耐え、生き抜いてきた。

 帰国後、富士山麓での開拓団に参加し、電気も水もないという極貧生活に耐え、農業から酪農へと転換し、徐々に安定した生活を築く。

 穏やかな生活は、90年2月、集落の一角にオウム真理教がやってきたことから一変してしまう。

 90年5月、地区の約280人のオウム追放集会で、共同代表5人の一人になる。

 オウムとの闘いで、「殺される」と周囲や連れ合いから活動を止めるように忠告されても、「戦争、抑留、開拓と何度も死ぬような思いをしてきた。宗教の名を借りた殺人集団を許すわけにはいかない」とひるむことはなかったそうな。

 94年7月、防毒マスクをつけた信者の男女15人くらいがぐったりし、異臭がすることもあったので、警察や保健所に調べてくれと言っても、反応は鈍かった」という。

 その2日後、ようやく警察の強制捜査が施設に入った。

 「多くの人が事件を忘れようとしているように感じる。それでいいのか。富士山麓で何が起こり、住民がどう闘ったのか、検証し、記録し、語り継いでいくことが、同じような事件を防ぐことにつながる」と闘いの記録を残す意義と語り継ぐことの大事さを訴える。


 17歳という年齢でシベリアに抑留され、過酷な強制労働に耐え、生き抜いてきた竹内さん。帰国後は、富士山麓で、電気も水もない開拓生活をしのぎ、やがて、酪農で生活の安定につなげた。
 しかし、またしても試練は続き、今度はオウム真理教との闘いを余儀なくされる。

 スターリンという独裁者、粛清で何人の人間を殺害したか不明だという人類の歴史上最凶の殺人鬼の一人が命じたシベリア抑留では、日本人抑留者の約1割が酷寒の地で斃れているとされているから、よくぞ生き抜いたものだ。

 電気も水もない開拓生活に耐えたのも驚くが、オウム真理教との闘いには感心するばかりである。

 何故なら、坂本堤弁護士がオウム真理教に殺されたであろうといわれていたことを竹内さんは知っていたというのだから、当然、竹内さんだって命を狙われていたはずだからだ。

 信教の自由ということで、警察が宗教団体には腰が引けてしまうというのに、竹内さんは 全然、ひるまないのである。流石に抑留生活や開拓生活を生き抜いてきただけのことはある。

 スターリンとオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚。

 どちらも、自分の手を汚さず、自分に反対する人間を粛清する。

 そっくりだが、もっと、怖ろしいのは、そんな独裁者が今も、日本のすぐ近くにいることだ。
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