2025年09月30日

沖縄・波照間島でマラリア地獄

 1945年9月、沖縄・八重山諸島の波照間島は「マラリア地獄」の渦中にあった。島民約1600人のほぼ全員が蚊が媒介する感染症「マラリア」にかかり、3割が亡くなった。きっかけは日本軍の命令だった。と9月30日の毎日新聞(喜屋武真之介記者)のWEBが伝えている。

 八重山諸島では以前からマラリアに苦しめられてきたが、波照間島に感染は広がっていなかった。しかし45年3月、日本軍は波照間島民にマラリアの発生地として知られた対岸の西表島への疎開を命じた。軍の食糧確保や機密の漏えい防止が目的だったとされる。

 八重山諸島に米軍は上陸しないまま沖縄戦は事実上終結。波照間島民は8月に帰島を許されたが、感染は続いた。高熱に苦しみ、食糧不足のために抵抗力も落ち、次々と命を落とした。「誰一人看病できる者もなく、全員動けぬ身となりました」。74年発行の県史には、家族・親族計16人を失った女性の証言が残る。

 「戦争マラリア」による死者は八重山諸島全体で3600人を超えた。波照間島に薬が届き始めたのは46年1月になってからだった。


 1985(昭和60)年1月、沖縄を訪れたのは観光が目的だったが、南部戦跡で沖縄戦の犠牲者のお参りをした後、石垣島、竹富島そして西表島にも行ってみた。
 波照間島は竹富町らしいから、竹富島に近かったのかもしれない
 この時は、再び沖縄を訪れることはないと思い、本島以外にも行ってみたが、西表島で昔、マラリアが発生していたことなど知る由もなかった。

 明治生まれのわが父は召集され、スマトラ島に赴いたと耳にするが、マラリアに感染したことがあるようなことを母親から耳にしている。
 1965(昭和40)年8月、夜中に血を吐いて、救急車で病院に運ばれ、動脈りゅう破裂で亡くなったが、親族の医師は、感染症のマラリアが関係しているかもしれないと言ったことがある。真偽のほどはわからない。
 感染症は怖いが、マラリアもまた感染力が強いのか、波照間島のことを聞くと日本軍のせいでマラリアが爆発的に感染を引き起こしたことになるとすれば、酷い話だ。

 波照間島島民の3分の1、551人が亡くなったという説もあるくらいだから、島民にとって日本軍は疫病神みたいな印象ではないか。

 マラリアの症状としては、寒気を伴う高熱だというから、尿路感染症に罹患し、悪化して腎盂腎炎で入院した時の症状、40度近い高熱で悪寒がし、生まれて初めて自分の意志とは別に体がぶるぶる震えた時と似ている。

 沖縄戦を調べて、初めて耳にする話である。