井上ひさし『父と暮らせば』を原作とした映画『父と暮らせば』で被爆しながらも生き残った娘が亡くなった父親に抱く罪悪感、「自分だけ幸せになってよいのか」と結婚してよいものかどうか葛藤する。
原爆に限らず、特攻隊で生き残った人からもしばしば耳にする罪悪感。
9月21日の読売 広角/多角というコラムに「悲しむ遺族が幸せになるまで」という見出しで石浜友理記者が犯罪における被害者遺族が抱く「自分だけ生き残った」「救うことでできなかった」といった罪悪感から、「笑ってはいけない」「しあわせになってはいけない」という気持ちを抱く人が少なくない。遺族に落ち度など全くないのに」だ。と書いている。
全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事だった岡村勲弁護士のお別れの会で、同会のメンバーだった本村洋さん(49)に罪悪感を抱く遺族に伝えたいことを尋ねると人に人生を語れるような立場ではないがという断りの後、「罪悪感は故人を大切に思った証拠。その感情を抱きつつも自分を赦せるときが来たら素直にその気持ちに従えばいい。自ら幸せになることを拒む必要はない。人は幸せになるために懸命に生きていいと思うから」
「不幸や困難から立ち直ろうと懸命に生きている人を支える社会であってほしい」本村さんの静かな願いに胸を打たれた。と結ぶ。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた。
戦争で生き残ったというよりも、一度は死を覚悟した特攻隊や玉砕の島、あるいは被爆しながらもなんとか助かった人たちの中から幾度となく耳にした言葉「罪悪感」。
特攻隊員が先に散った仲間に、自分も後から続くと約束しながら、自らは助かったとすれば、戦友に対し裏切ったような気持ちを抱くことは理解できる。
この罪悪感を犯罪被害者の遺族も抱くとは考えもしなかったが、岡村勲弁護士がその連れ合いを殺されたことに対し、加害者に仕事上の恨みを買ったことが原因だったことから、連れ合いに申し訳ないことをしたと心中を吐露していたと耳にしたことがある。
この場合は、岡村弁護士が抱いた罪悪感という感情を素直に理解できる。
光市の事件の被害者遺族である本村洋さんが罪悪感は故人を大切に思った証拠だということは説得力がある。自分が傍にいたら、助けられたかもしれないということと同義語かもしれない。
父と暮らせばで、作家井上ひさしは被爆して今は天国にいる父親と現世を生きる娘が会話するという予想外のシュチュエーションを用意する。
愛する者同士であれば、生き残った相手には無論幸せになってね。と言葉を送ってくるだろう。
それだけに、生き残った者は、自分だけ幸せになっていいのか。父と暮らせばの娘みたいな心情を抱くのも無理がない。
命あることが大事で、命のある限り、生きていかなければならない。
軽々に命を奪ってはならない。
戦争はやってはいけないし、犯罪も減らしていかなければならない。