731部隊による細菌戦や毒ガス戦、南京大虐殺など、日本の戦争加害の歴史を伝えるパネル展「知ることで未来が見える 戦争の加害」の第10回がこのほど、神奈川県横浜市で開催された。主催団体の代表を務める竹岡健治さんが15日、新華社(記者/楊智翔、李子越)の取材に応じ「加害の記憶を伝え続けたい」と語った。
竹岡さんは1946年に広島で生まれた「被爆2世」に当たる。父親は37年と41年に日本軍の部隊に所属して中国へ渡ったが、現地での体験について一切口を閉ざしていたという。
その後、竹岡さんは小学校の教師となり、約30年の教員生活を通じて、日本の戦争加害の問題に一貫して関心を寄せてきた。
取材当日、竹岡さんはA4用紙数十枚をつなぎ合わせた自作の大型パネルを見せてくれた。そこには、51年から現在まで、十数社の教科書出版社が「九・一八事変(柳条湖事件)」「南京大虐殺」「慰安婦」などをどう記述してきたかの変遷が記録されていた。竹岡さんによると、関連の記述は2000年前後をピークに最も詳しくなったが、その後は右翼の抗議活動を背景に減少した。
竹岡さんは日本の加害の歴史を決して避けず、かつて日本軍が実行した「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)についても児童らに伝えてきたという。子どもたちは日本軍が当時何をしたのかを知る必要があると考えているためだ。
07年、竹岡さんは日本の民間団体と共に中国を訪れ、731部隊の跡地や「九・一八」歴史博物館などを見学した。この訪問は強く心を揺さぶる体験となった。竹岡さんが記した感想の中にこのような一節がある。「加害者は事実を直視し、誠実に謝罪しなければならない。その上で友好関係を築くことこそが、本当に重要なのだ」
語り継ぐ戦争だから、アジア太平洋戦争が日本の侵略戦争だったことは事実として淡々と書いてきた。
参議院議員選挙の東京選挙区から立候補していた女性が中国と中国人が大嫌いだということが分かったが、自分は民族差別はしない考え方だから、中国の新華社が伝えることだって区別することなく書く。
隣国の朝鮮半島出身者や韓国・北朝鮮についても同様である。
日本大好き人間の一人だから自分に民族主義的傾向がないとは言わないが、過去の歴史を捻じ曲げるような恥知らずなことはしたくない。
自由をこよなく愛する人間の一人として、治安維持法などで自由を奪った政府、日本軍、憲兵や特高警察には否定的な立場だから、敗戦で自由を取り戻せて佳かった。万歳したいくらいである。
アジア太平洋戦争を語り継がなければならないと思った原動力は五味川純平『人間の條件』の主人公梶である。TVドラマ化されたとき演じたのが俳優加藤剛で、梶は戦争に反対する立場であったし、知識人として満州は日本の侵略と認識していたから、部下の中国人を虐待することをしたくなかった。
多感な中学生の時だったし、感受性が強いと小学校の通信簿にいつも書かれていたくらいだから、影響を受けないわけがない。
井手孫六『終わりなき旅 中国残留孤児の歴史と現在』(岩波現代文庫)を買い求めて読んだとき、著者は満州に侵略してきた日本人の子どもを中国人はよく育ててくれた。大陸的なおおらかさ、人間の大きさを痛感させられた。立場が反対であったなら、とても日本人なら真似できないとも書いていた。
これに対し、中国人は日本人の子どもを労働力にしたかったことと、中国でも特に貧しい満州の農民では嫁の来てがないから、将来嫁にするためだ。と批判的な立場の人がいる。
残留婦人であれば、嫁に来てがない貧農の人達にとって日本人の女性を嫁にすることは大いなる喜びであったであろうとも。
自分は井手説を支持するが、その中国で731石井部隊が中国人捕虜をマルタと呼び、人体実験をしたのだから、中国人が80年経っても怒るのは当然のことではないか。
「三光(焼光・殺光・搶光)作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす掃討作戦)しかりである。
2022年2月24日、ロシアに侵略されたウクライナの人たちが武器を持って立ち上がり、苦戦しつつもいまだに持ちこたえている。
侵略された側、殺された側、傷つけられた側の立場からみれば、やられたことは絶対忘れられないであろう。
加害者が謝罪しなければならない所以である。