1945年3月10日未明、蔵王連峰・不忘山(1705メートル、宮城県七ケ宿町)に3機の米爆撃機が墜落し、米兵34人全員が死亡した。出来事を記憶にとどめようと、地元の人たちがふもとにつくった公園が開園10年を迎え、5月25日に記念式典が開かれた。かつての敵味方を超え、日米の関係者が犠牲者を悼んだ。と5月26日の朝日新聞(石橋英昭編集委員)がWEBで伝えていた。
9月17日の読売(木内惇平記者)が慰霊を続けてきた住民団体が墜落事故の証言や追悼文をまとめた冊子「不忘の碑」を64年ぶりに復刻。
地元の中高生を対象に平和について考える作文コンクールを実施し、次世代に伝えようとしている。
「人間は皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と山頂付近に慰霊碑「不忘の碑」を建立。このことを記念して制作されたのが同名の冊子である。
慰霊建立にも関わった白石で建設会社を経営する高橋良夫さんが2015年、約5000万円の私財を投じて10fの土地に「不忘平和記念公園」を整備。
息子の敬さんは、「戦後の貧しい暮らしの中、おやじはアメリカの食料支援に感謝していた。その恩に報いたかったんでしょうね」と話す。
「不忘の碑」といえば、東京は調布市の延浄寺に国策に騙され、政府や日本軍に棄民とされた満蒙開拓団と同じことを繰り返さないようにとの思いで慰霊碑が建立されている。
2016年3月11日に訪れてお参りしている。
蔵王連峰の不忘山に米軍のB29が3機墜落したことは知らなかった。
非武装の民間人をジェノサイドで狙っただけでなく都市を焦土と化した鬼畜米兵ということで、普通に考えれば弔うとか慰霊碑を建立することにはならない。
ところが、「人間皆兄弟だ。永遠の平和を祈りたい」と米兵を弔い、慰霊碑を建立した高邁な精神を持つ人たちが東北の田舎町にはいたということになる。
親鸞聖人は悪人でも死ねば許されるという「悪人正機」と呼ばれる考えを教示していることから、浄土真宗というか、仏教の世界でなら、空襲、空爆でジェノサイドに関わったとしても、墜落死してしまえば、憎しみは消えるということもあるかもしれない。
不忘ということでいえば、忘れるという言葉は使い方で心の動きが表現される。
忘れる、忘れてはいけない、忘れられない、忘れなくてはいけない、忘れないで、思いつくままに挙げてみた。
不忘だから、忘れてはいけないということになるだろうか。
命令で動く軍人だから、彼らを憎むというより、戦争がよくないということになれば、赦す気持ちになれたのかもしれない。
沖縄の平和の礎も、敵味方の区別なく、沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれている。
憎しみを持ち続けるのは辛いが、かといって、やられた側は簡単にやられたことを忘れられない。
空襲、空爆、原爆、ソ連兵による性暴力、シベリア抑留・・・。