2025年09月16日

遊郭にいた女性たちの被爆体験が語られず

 戦争や原爆をジェンダーの視点から考える市民講座「ジェンダーの視点でみる語られない『原爆』」が、広島市中区で6日にあった。広島市立大学広島平和研究所の四條知恵准教授が講演し、被爆当時、遊郭にいた女性たちの体験が語られていないことに触れ、「いまだに語られない被害があり、それは現在私たちが生きる社会にもつながっている」と説いた。9月15日の朝日新聞(遠藤花記者)のWEBで見つけた。

 四條准教授は原爆被害の記憶研究が専門。四條准教授によると、市内で遊郭を経営していた男性の体験記は残っているものの、働いていた女性の体験記は見つかっていないという。

 四條准教授は、市が編集した「広島原爆戦災誌」にも遊郭の女性たちに関する記述が少ないと指摘。1956年の売春防止法制定以降、差別的な視線が強まったため、体験が積極的に語られず記録も残らなかったのではないかと分析した。


 遊郭と言うところは吉原を例にすれば、お歯黒どぶで囲われ、遊女、女郎と呼ばれた女性たちが逃亡できないように囲われていた。
 大阪の飛田新地では嘆きの壁という名で今も一部残っている。
 死ぬまで搾取され続けた女性たちが梅毒その他で死ねば、吉原なら投げ込み寺と呼ばれている浄閑寺に投げ捨てられた。
 原爆も含めた日本の街への空爆で、ために女性たちの多くが逃げ遅れ焼け死んだ。

 「B29空爆 歯止めなく」という見出しで北は青森から南は鹿児島までの空爆を受けた都市名、犠牲者数を戦後77年の語り継ぐ戦争で2022年月8月13日の読売が伝えている。
 一方、日本全国にあった遊郭と空爆を受けた都市との関連は調べないと書けないが、木造建築で住宅が密集していたことを考慮すると空爆されれば、火災が発生してしまうことは容易に想像できる。

 吉原の女性たちの手記などは、新吉原女子保険組合・関根弘編『赤線従業婦の手記 明るい谷間』(土曜美術社)を買い求めているので手許にあるが、詩、短歌、俳句そして作文などが綴られている。

 谷川健一編『近代民衆の記録 3 娼婦』(新人物往来社)が手許にあるが、和田芳子『遊女日記』、森光子『光明に芽ぐむ日』住谷悦治編『街娼の記録』に街娼の手記がある。
 遊女日記では梅毒の検査、梅毒に罹患して入院治療の様子などを書いているし、光明に芽ぐむ日では、吉原に売られ、やがて逃亡して、柳原白蓮宅に駆け込んだことなどが綴られている。

 原爆では生き残ることが難しいので、遊郭にいた女性たちが語るのは難しいと思うが、空爆では籠の鳥のよう境遇から逃げ遅れて焼け死んだ可能性が高いことと、生き残ったとしても、自らの職業を明かすには勇気がいたであろうと思われる。

 自分のことを綴った和田芳子さん、森光子さんにしても書くことで気持ちを奮い立たせていたのかなと思えば、勇気だけでなく、境遇と社会に対しての不満みたいなものがあったのかと推察する。
 
 名古屋の中村遊郭にある中村観音は名古屋空襲、空爆で焼死した遊女、女郎の遺灰も塗りこめられている。
 言葉では語れなくとも、観音様の体に彼女たちの無念の思いが込められていると考えているのは自分だけか。