「戦禍の記憶 書いて残す」という見出しで、江原桂都記者のコラムが「東京春秋」というタイトルのコラム328回ということで9月7日の読売で見つけた。
「書き残しておかないと『なかったことに』なってしまうでしょ」と記者の心を揺さぶった一言を発したのは『戦争孤児と戦後児童保護の歴史―台場、八丈島に「島流し」にされた子どもたち』(明石書店)の著者藤井常文さんだ。
取材で出会い、啓発された江原記者は戦禍の記憶を書いて残すことを大切にしていくと誓う。
都の児童福祉施設などで約40年間働いてきた藤井さんはこの本を自費出版した。
自らが働いてきた施設のルーツとなる戦争孤児施設に関心を持ったのは30代の頃で、児童福祉施設の果たしている役割や歴史を深く掘り下げたいと思ったそうな。
生きていくことさえ難しかった子どもたちを受け入れ、育ててきた人々がいた事実の数々が埋もれていることを残念に思ったとも話す。
上坪隆『水子の譜―引揚孤児と犯された女たちの記録』(現代史出版会、徳間書店)を買い求めて読んだのは80年代の頃だったか。
「聖福寮の孤児たち」では身寄りの無い引揚孤児達と保育にあたる人々の記録。「水子の譜うた」ではソ連兵などからの性的暴行により妊娠、あるいは梅毒に罹患したた引揚女性たちを救済する二日市保養所のことを伝える。
語り継ぐ戦争の立場に立つ自分を導いたのは五味川純平『人間の條件』(三一書房)の主人公梶で、TVドラマで演じた加藤剛の影響大であることは何回となく書いている。
満蒙開拓団とシベリア抑留に関心が向いたのは、梶だけでなく、二日市保養所で妊娠中絶手術や梅毒の治療を受けた女性とスタッフの影響が何と言っても大きい。
二日市保養所跡を訪れたのは2009年の8月のことだった。
羽田から博多に着いたのだから、引揚孤児の聖福寮が境内にあった聖福寺に立ち寄るべきだったが、当時は引揚孤児のことより妊娠中絶手術をした二日市保養所のことしか目が向かなかった。
博多には福岡市市民福祉プラザ1階で『資料展「引揚港・博多」が大いに参考になるにもかかわらず、このことを知らなかったのは不覚である。
横浜に住む親族、もう亡くなってしまったが、戦災孤児の面倒を見ていたことを知ったのはご当人が亡くなってからのことで、生きているうちに知っていれば、いろいろ教えてもらえたはずで心残りである。
悔いることはいくらでもあるが、学校を卒業して、社会人になって、シベリア抑留から引き揚げてきた大正生まれの地域の実力者と仕事で知り合った。
今なら、いろいろ教えてもらえただろうに、当時はこちらが勉強不足で、質問することさえできなかった。
江原記者ではないが、書き残してもらえば、読むことで知ることもできるが、なければ、事実関係を確かめることもできなくなってしまう。
書き残すことの大事さがよくわかる出来事ではある。