2025年09月13日

民具生活用品を50万点収集

 70年以上かけ民具・生活用品を50万点収集した秋田県横手市の油谷満夫さん(91)のことを「古い道具の中に未来がある」という見出しで9月7日の読売(小杉千尋記者)が「顔 Sunday」というコラムで紹介している。

 農具など日常で使用されていた民具や家庭の生活用品を江戸時代から現代まで、総数は約50万点。「苦しい時代を生き抜いてきた人たちの工夫と知恵が詰まっている。苦労して使われてきた道具ほど、いい格好をしているものです」と収集してきた思いを話す油谷さん。

 米穀商だった生家は経済的に苦しかったため、食べるためになんでもやったが、心の支えとなったのが物の収集だった。
 切手の収集から始まった収集癖はやがて、関心は民具へと移った。
 「庶民の暮らしを残したい」と民家を訪ね歩いては、使われなくなった道具を譲ってもらって回った。
 収集品は自宅に収まりきらず、複数の倉庫で保管してきた。
 このことを聞きつけた東京芸大の准教授らが現代の生活やアートへの活用を検討しようと2025年春調査が始まった。
 「先のことがわからないからこそ、人は歴史に学ぶしかない。古きものの中に未来がある」と民具収集の面白さを語る。


 アジア太平洋戦争に召集され、南方のスマトラ島から無事帰国した父親は偶々わが家にあった農地で陸稲や野菜を作っていたのを小学生の時から手伝わされた。
 16歳になったばかりの夏にその父親が病死したため、畑に行くことはなくなったが、20代半ばの頃、荒れ地と化した畑で枯草火災が起こり、消防署に管理不行き届きで怒られた。
 仕方なく、開墾から始めて、栗や梅の木を植えた。
 もう陸稲を作ることなど考えられなくなったので、物置にあった昭和30年代製の脱穀機とモーター、唐箕などを知人に処分してもらったことがある。
 知人は農耕具として、収蔵してくれるような話をしていたが、その後どうなったことか不明である。

 秋田で個人が農具や生活用品を50万点も収集している人がいたとは驚きである。
 わが家では、祖父が建てた土蔵、所謂蔵を先年解体し、中にあったものをアンテイックの店の人に引き取ってもらったことがある。
 油谷さんが近くにいることを知っていたら、何点かでも、持って行ってもらいたかった。

 古い道具の価値を知っている人から見れば、わが家のようないい加減な家の主は何もわかっていないと思ったかもしれないが、要らないものは要らないのだから仕方ない。

 秋田の横手といえば、、水神様をまつる小正月の伝統行事、かまくらでよく知られている雪の多い街だが、女郎や娼婦と呼ばれし女性たちの供養をしてきた立場としては、伊達一行『みちのく女郎屋蜃気楼 : アネさんたちの「昭和史」』(学芸書林)を買い求めて読んでいるので、馬口労町に遊郭があったことを知っている。

 油谷さんの民具、生活用品の収集とは関係ないが、歴史に学ぶという視点で見れば、横手のような街でなぜ、遊郭があったのか。ということも知っておいた方がいいかもしれない。

 豪雪地帯だろうが、働く場がない東北の田舎では、性を商うことも一つの仕事になるということか。
 生きるとはこういう人々の営みも含まれるのだろう。