2025年09月12日

募る望郷 ソ連占領国後 暗夜の脱出

 戦後80年 昭和百年で読売が力を入れて伝える語り継ぐ戦争。9月9日(波多江一郎記者)はアジア太平洋戦争で日本が降伏した後も侵攻を続け、北海道の半分を強奪しようと目論んだ強盗、捕虜の抑留、強制労働国家スターリンのソ連軍によって1945年9月上旬までに占領された北方領土。約1万7000人が暮らしていた。
 千島歯舞諸島居住者連盟によると、7月末時点の元島民は4897人で、平均年齢は89・6歳に達する。

 国後島から根室に引き揚げた佐々木タエさん(88)。4歳の時、漁船の転覆事故で父親を亡くしている。
 記憶をたどると、1945年7月中旬、空襲で約400人が犠牲となった対岸の根室が炎に包まれたのを目撃している。
 45年9月下旬の夜、島から60`先の対岸の根室を目指し、祖父母や母たち8人で小舟に乗り込み、沖で漁船と落ち合うと、はしごをよじ登ろうとした時、小舟が波で上下に揺れ、「海に落ちる」と身が縮んだが、手をひっぱられ漁船に転がり込んだ。
 空襲で市街地の8割が焼けた根室から知人を頼って釧路方面に行き、物置小屋や納屋を転々とした。
 戦争で母親の弟が戦死し、息子を亡くした祖母は心を病み、川に身を投げた。
 18歳で銀行員になり、結婚して2人の娘にも恵まれた佐々木さん。
 北方4島の返還運動に加わり、日露自由訪問で2014年と2016年に国後島を訪れた。
 語り部をしながら、ロシアが2022年2月24日、ウクライナに侵攻、侵略したことが国後島の占領と重なる。
 ウクライナに平和が訪れるように願っている。


 人間あきらめてはダメだ。とは古来から言い伝えられていることである。
 日本とロシアの間では日露戦争があったくらいで、ロシアの前身ソ連のスターリンは日露戦争で日本が手にした権益をすべて奪い返すという目的があったとされている。
 その上で、北海道の半分を強奪し、不凍港を手に入れ、シベリアから、日本海太平洋に出ることを考えていたという説がある。
 1945年8月9日未明、樺太や千島列島に侵攻侵略してきたソ連軍が玉音放送後も攻撃の手を緩めなかったことに対し、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官・樋口季一郎陸軍中将の命令で千島列島の占守島の守備隊戦車11聯隊が懸命に戦い、ソ連軍の南下を引き延ばしたため、北海道には米軍が先に進駐できたことから、北海道は無事日本の領土だった。

 日露間には、過去の歴史で対立関係にあったにもかかわらず。、愚か者たちがソ連に和平交渉の仲介を恃もうとしたことがあった。

 戦後になって数十年、強盗国家が奪った領土を還すはずがないにもかかわらず、またしても愚か者が2島返還だなどと交渉した云々と伝えられ怒り心頭だった。

 ウクライナのクリミア半島を強奪したロシア。元はといえば、北海道の強奪を目論んだように海に出ることが優先課題だった。
 21世紀のヒトラープラススターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンがウクライナ侵略で占領した土地をまたしても強奪した。

 あきらめてはいけないというのは、ロシアに強奪された北方領土を返還せよとことあるごとに訴え続けることが大事だということ。

 自分たちの領土だったということで、長い歴史をみれば、ロシアが衰退したり、疫病が流行ったりすることだってあるかもしれない。
 怨念という言葉は好きではないが、満州などでのソ連兵による性暴力、シベリア抑留、ウクライナ侵略という事実に対し、天罰が下ることを祈り続けることはできるはずだ。