2025年09月08日

模擬原爆18都府県に49発

 戦後80年 昭和百年で読売(波多江一郎記者)が伝える語り継ぐ戦争、その8月4日は模擬原爆、埋もれた悲劇だった。
 ナガサキで使用された原爆「ファットマン」とほぼ同じ重さの1万ポンド(4・5d)爆弾で18都府県に49発投下されたと紙面に解説があった。
 内部には通常の爆弾が詰め込まれていたが、着弾時にクレーターができるほどの威力があった。

 戦後、模擬原爆の存在に光を当てたのは愛知県の市民グループ(「春日井の戦争を記録する会」だった。
 1986年に中学教諭らで結成した同会は米軍が本土爆撃の効果を検証した調査団の報告書を精査し、終戦前日の45年8月14日、春日井市が狙われた空襲を調べていくうち、報告書の記述の脇に「スペシャル17番」という単語があることに気づいた。
 研究者らの間ではヒロシマとナガサキに投下された原爆は「スペシャル13番」と同じく16番と知られているのだ。同会の金子力さん(74)は「春日井の空襲と原爆は関連している」と直感したそうな。
「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三さん(75)(山口県周南市)も加わり、読み解くうちに、B29が原爆と同じ形状で同質量の模擬原爆を搭載し、極秘裏に日本上空で投下訓練を繰り返していたことを突き止めた。

 18都府県で計49発が投下されていて、このうち46発は着弾地点まで特定した。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で新潟県長岡を訪れたのは2017年8月のことだった。
 長岡は驚いたことに米軍による空襲、空爆の犠牲者の名前を特定している珍しい街である。
 全国でも自分が知る限り長岡だけではないか。
 ここで、さらに驚いたのは原爆の標的に長岡がされていたことを知ったときである。
 1945年7月20日に長岡に模擬原爆が投下されたということを知った。長岡空襲の12日前のことだという。

 長岡空襲の資料館はささやかな施設であるが、空襲の犠牲者の特定と模擬原爆の投下された街ということで大いに勉強になった。

 春日井といえば、東海テレビ『人生フルーツ』を観たとき、春日井市高蔵寺ニュータウンの一隅にある住居で暮らす建築家津端修一、英子夫妻の生活を垣間見ることができ、こういう暮らしもいいなと思った。
 残念ながら、春日井市に行く用事がなかったので、詳しいことは不明ながら、津端さんの庭の樹木の多さにこれぞ人の棲み処だと感心したものである。

 そう、東海テレビといえば、名張の毒ぶどう酒事件のえん罪を訴えながらも、八王子の医療刑務所で死亡した奥西勝さんの無念の思いと再審請求を引き継いだ岡美代子さんの活動を描いた『いもうとの時間』を制作し、この映画を観て、冤罪を再確認したものである。

 とにかく、原爆投下されたのはヒロシマ、ナガサキであるが、ほかにも候補地はいくらでもあったことになる。

 軍が降参するのが遅かったために、原爆を二つも落とされてしまった日本。
 米軍だけの責任ではなく、日本軍にも責任があるというのが自分の考えである。