関東大震災から102年となる9月1日、1923年の関東大震災で亡くなったおよそ5万8000人の遺骨が納められている東京・墨田区の「東京都慰霊堂」では、法要が営まれた。とメディアが伝えている。
NHKや毎日新聞などによれば、遺族の代表らおよそ190人が参列した。
一方、慰霊堂のすぐ隣では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマにより虐殺された朝鮮人の犠牲者を追悼する式典も行われた。
この式典には、歴代の都知事が追悼文を寄せていたが、小池知事は9年連続で追悼文の送付を見送っている。
「東京都慰霊堂」といえば、1948(昭和23)年から東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。
語り継ぐ戦争だから、東京大空襲の犠牲者が合祀されているというからにはお参りしなければならない。ということで、2015年8月に訪れ、お参りしている。
都知事に選ばれた人は、なぜか、東京に大空襲の犠牲者の資料館を建築しようとはしないのは何故だろうか。
人口が多い分、戦争の実相を伝えたくない歴史修正主義者が多いことも遠因しているかもしれない。
原爆が投下されたヒロシマ、ナガサキ、そして、地上戦で多くの犠牲者が出た沖縄、それぞれ資料館があるというのに東京大空襲で多数の犠牲者が出ているにもかかわらず、関東大震災の犠牲者と合祀というのは納得が
いかない。
8月2日の読売(大塚美智子記者)によれば、都戦没者霊苑(文京区春日)で戦没者の遺品を集めた「遺品展示室」の見学ツアーが開かれていると伝えていた。
何たる偶然のことか。
炎症性腸疾患クローン病で50代半ばを前に退職し、念願の自由を手に入れた時、通教ではあるがもう一度勉強してみようと入学し、この大学の文京区春日の理工学部校舎にスクーリングで行ったことがあり、その昼休みに近くの都戦没者霊苑に入ってみたのである。
今思えば、霊苑で戦没者の遺品展示や語り部たちの証言を聞くことができるとは当時は全く思いもよらないことだった。
戦没者の墓苑といえば、千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑があり、ヒロシマには原爆供養塔があり、ナガサキには長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂があり、沖縄には平和の礎がある。
ヒロシマ、ナガサキには国立の被爆死者の慰霊施設もできている。
資料館といえば国立しょうけい館 戦傷病者史料館、シベリア抑留と引き揚げを主とした平和祈念展示資料館を国が都に委託、ヒロシマ、ナガサキ、沖縄とそれぞれ資料館がある。
東京大空襲・戦災資料センターが東京江東区にあって、東京大空襲をしっかり語り継いでいるが、都立というわけではないところに、東京都知事の戦争への向き合い方がわかる。
東京都の慰霊堂はあくまでも関東大震災の犠牲者を祀る施設だから、東京大空襲の犠牲者の墓苑は、東京文京区春日にある東京都戦没者霊苑だと考えればいいということなのか。
とにかく、A級戦犯合祀後、天皇がお参りしない靖国神社ではなく、誰でもが戦没者を悼む施設として千鳥ヶ淵の墓苑のPRが必要ではないか。