2025年08月21日

旧日本軍の住民虐殺の久米島で追悼集会

 太平洋戦争末期の沖縄戦に関し、組織的戦闘が終わった後の1945年6〜8月、旧日本軍が住民をスパイとみなして虐殺した事件が起きた沖縄県・久米島で20日、犠牲者の追悼集会が開かれた。参列者は黙とうをささげ、平和を祈った。犠牲者の顔などをかたどった彫刻も除幕された。と8月21日の共同通信が伝えている。

 米軍は同年6月26日、久米島に上陸。日本軍は、米軍の捕虜となった後に解放された住民らをスパイとみなし、同27日から8月20日までの間に、子どもを含む20人を殺害した。

 集会実行委員会の神里稔会長(74)が「再び起こさないよう反戦平和を誓う」とあいさつした。

 「住民が密告、日本軍が気にくわない人を銃殺 沖縄・久米島は疑心暗鬼に 軍の加害に協力した負い目は今も」というタイトルで、8月20日の沖縄タイムスプラスが伝えるところによれば、久米島に配備された鹿山正隊長率いる日本海軍通信隊「鹿山隊」が、北原で9人もの住民を惨殺した事件は、島の人々を戦慄させた。米軍に拉致され、日本軍の情報を漏らしたとして、1945年6月29日(28日説あり)、拉致された青年と高齢男性に加え、その家族、区長と警防団長も刺殺した。

 9人は手足を針金で縛られ、何度も刺されて絶命。最後は小屋に火を付けられた上、焼け焦げた遺体さえ「引き取る者も殺す」とのうわさが広がり、野ざらしにされた。これが久米島守備隊住民虐殺事件、所謂鹿山事件である。


 鹿山は生き残り、戦後、自己保身の言い訳をしている。島の少女を連れまわし、逃亡していたという男。
 この事件を含め、日本軍には沖縄県民を守るという意識が全くと言っていいほどなかったことが明らかである。
 米国が人種差別の国であることから、同じゲルマン民族のドイツには原爆を使わず、カラードピープルのイエロージャップである日本人にはヒロシマ、ナガサキと二つも原爆を落とした。
 同様に、日本人も琉球民族や先住民族であるアイヌ民族を差別してきた。

 戦争だから、百歩譲って、沖縄を本土の防波堤にしたことは棚上げしても、琉球民族である沖縄県民を日米戦争に巻き込む以上、沖縄県民を守るということは軍隊として最低限やらなければならないことではないのか。

 然るに、ガマに住民が逃げ込めば、赤子の泣き声で米軍に居場所がわかってしまうから、赤子を殺せと命じたし、米軍の投降の呼びかけに住民がガマから出て行こうとすれば、後ろから味方であるはずの日本軍兵士に撃たれた。

 琉球民族には立派な人たちが少なくない。
 戦争が終わって、あれほど住民を苦しめた日本軍ばかりでなく、鉄の暴風と呼ばれた艦砲射撃、火炎放射器で住民を兵隊と一緒に焼き殺した米軍兵士も一緒に平和の礎に名前を刻み追悼している。
 まさに、ラグビーのノーサイドを思わせるような振る舞いである。

 沖縄県民を集団自決に追い込んだのも日本軍である。
 生きて虜囚の辱め・・・。ではない。非武装の住民を米軍は原則として殺したりはしない。

 しかし、過ぎてしまったことは、反省して、二度と戦争を起こさない。巻き込まれないようにすることで犠牲者の御霊に約束するしかない。
 戦争にならないように、巻き込まれないようにふだんから要注意である。