2025年08月18日

父親を助けたガジュマル 「コカリナ」に伊江島

 月に一度の映画館行き、8月に観た『木の上の軍隊』のモデルとなった沖縄県の伊江島の佐次田秀順さん(2009年91歳で死去)が隠れたガジュマルの大樹が2023年の台風で倒れた。落胆する佐次田さんの息子満さん(77)らに枝でコカリナを作ることを提案したのがコカリナ奏者の黒坂黒太郎さん(76)だった。

 2025年7月に戦争体験者らが東京で開催したコンサート会場で、コカリナを手にガジュマルの樹上で生き延びた父親のこと、平和の尊さを訴えた満さんのことを8月14日の読売(貞末ヒトミ記者)が伝えている。


 映画を観たとき、ガジュマルの樹上で2年 生還した兵の概要は書いている。
 書いていなかったのは、伊江島は戦後も米軍が基地として島の3分の1を占拠したままだということ。
 恥ずかしながら、知らなかったのである。
 2024年、戦没者とみられる20人分の遺骨がみつかったばかりだ。 
 
 1959年6月30日、通っていた宮森小に米軍機が墜落して多くの子どもが亡くなった事故があった。
 東京五輪開催の1964(昭和39)年4月28日、嘉手納基地から厚木基地に向かった米軍機が東京は町田市の民家に墜落事故を起こしたことを当時多感な中学生で覚えている自分としては、「沖縄の戦後は迎えていない」という満さんの気持ちを理解する。
 30年ほど前、紙芝居を作り、学校に配った。卒業生らでつくるNPO法人「石川・宮森630会」で慰霊祭や写真展も開いている。
 佐次田満さんはコカリナを手に「いつか戦争を『過去のもの』にするため、世界に沖縄の歴史や現状を伝え続けたい」と願っている。

 米国との戦争に敗れてよかったのは、治安維持法がなくなったことだ。治安維持法d100年になるが、戦争に反対する人を捕まえ、拷問で虐殺した。こんな滅茶苦茶なことをやった国家権力がいくらかなりとも民主化されたこと。
 佳くなかったのは、戦後80年経っても、日本が米国の植民地同然であること。
 このことが一番顕著なのが沖縄であろう。
 戦争をやってはいけないが、自国を守るのは自国の民であり、米軍ではないことだけは覚えておく必要がある。
 日米同盟を見直し、日米地位協定の不平等を改正しなければならない。