2025年08月17日

露兵供養 抑留の恩讐超え 玉木宏さん祖父

 戦後80年 昭和百年 「露兵供養 抑留の恩讐越え」「『人は平等』墓守で体現」という見出しで俳優玉木宏さん(45)の祖父武雄さんの戦争の経験を語り継ぐ、8月13日の読売の家族の記憶Aについて書いておく。

 満州(現中国東北部)の奉天で終戦を迎えた武雄さんは、武装解除後にシベリアに連行され、45年10月にチタ州(現ザバイカル地方)で抑留生活が始まった。
 真冬の気温は氷点下40度。山林伐採に従事、仲間のうち約350人が最初の冬を越せずに命を落とした。
 47年10月に抑留を終え、47年10月、古里に戻った。

 古里隠岐諸島の西ノ島には日露戦争で流れ着いたロシア兵を島民がカネを出し合って弔った墓があり、いつの頃からか武雄さんは墓守をするようになっていく。供えるためのシキミは畑で育てた。

 シベリア抑留から無事帰国できた武雄さんからみれば、「ロシア兵も祖国に帰りたかったであろう。ロシア兵は帰りたくとも帰れなかった。生きて帰ってこられた感謝の気持ちを込めて、せめて墓の世話はしてやりたい」とのことだった。

 武雄さんの博愛精神は『海を越える愛』として、ロシアでドキュメンタリー映画が20年に完成した。
「人間はみな平等、兵士は国のため、義務を果たしに戦地に行くが、戦争をしたいわけではない。戦争は繰り返してはならない」とは武雄さんの思いである。

 8月15日に全国公開された『雪風YUKIKAZE』で玉木宏さんは乗組員を演じる。
 「祖父が厳しい時を経て、生き延びて命を繋いでくれたからこそ今がある」と玉木宏さん。
 時代、国境、立場を超えて、次の世代へとつないでいきたい生き様がある。


 沖縄戦で戦没、死没した人たちを敵味方、民族の区別なく平和の礎に刻む沖縄県民の博愛精神を何回となく誉めたことがある。
 俳優玉木宏さんの祖父が自身の抑留体験を棚上げし、日露戦争で西ノ島に流れ着いたロシア兵を島民が弔った墓を守っていたのは立派な行いである。
 本来、死んでしまえば、大概のことは赦されることからして、戦争であっても、死ねば弔ってやることが大切だ、

 コロナの時、「自粛警察」なる嫌な言葉が流行ったことがある。
 北朝鮮や中国では密告社会だからこんなに住みにくい世の中はありゃしない。
 女性の参議院議員で一時的に選挙で票を集めた人物が、国会での責め口調が災いし、すっかり嫌われ者になり下がってしまった。

 とてもマネできることではないが、抑留された恨みつらみを棚上げし、ロシア兵の墓守をしていた武雄さんは偉い。

 シベリア抑留といえば、8月14日の読売が戦後80年つなぐ記憶D「抑留いかに生き残るか」「寒さ、重労働、飢え、次々落命」という見出しでその過酷さを伝えている。

 そのシベリアから生き延びてきた武雄さんが恨みつらみを言わず、黙々とロシア兵の墓守をしていたというのはどう考えても素晴らしい。

 宥恕の精神というか、赦すことの難しさを超えれば、互いに友好関係も築いて行けるかもしれない・
 玉木宏さんは素晴らしい祖父を持ったものである。