「人間がやることではない」日本軍が東南アジアで行った“華僑粛清”その実態という『日本軍が占領地で行った加害』をテーマとする、語り継ぐ戦争の立場から放っておけない記事を8月12日のWEBのテレ朝newsでみつけた。
シンガポールの中心部にある『血債の塔』。戦時中、日本軍によって命を奪われた多くの人の遺骨が眠っている。
かつて、この地で起きた悲劇の歴史。その実相を、幼き日の記憶として語り継ぐ沈素菲さん(89)。
1941(昭和16)年12月8日、真珠湾攻撃で米国との戦争に突入する日本軍は、予てから資源豊富なマレー半島に目をつけ、わずか2か月でシンガポールを陥落させ、中国大陸に侵略していた関東軍が苦戦していたことから、シンガポールの経済を支配しているとみなした華僑が中国軍に援助しているとみて、抗日分子として華僑の弾圧に乗り出した。
日本側の報告では5000人、一方、シンガポールでは5万人以上が粛清されたと、両者の言い分は異なるものの架橋を虐殺した事実は間違いないことが証言で補足されている。
シンガポール国立公文書館所蔵資料などによれば、日本軍「陣中日誌」に粛清の事実が記されている。
日本軍による粛清は、やがて、マレー半島各地へと波及する。
ゴム園を営んできた鄭来さん(90)。一家は弟二人だけ生き残った。体にはいまも、銃剣で刺された傷が残っている。銃剣は、背中から胸へ、突き抜けた。子どもまで殺そうとするなんて、人間のやることではない。と鄭来さん。
戦争で最も矛盾というか理不尽なのは、五味川純平『人間の條件』の主人公梶が満州で植民地に生きる日本の知識人として苦悶する姿だった。
部下として働く中国人に対し、同じ人間だという良心と国家権力から受ける恐怖の葛藤、やがて、召集されるや、今度は軍隊での怖ろしいまでの暴力と屈辱に遭う。戦争が終わるとソ連軍によってシベリア抑留されてしまうのだ。
愛する美千子との再会を夢見て、収容所を脱走するが、雪原に行き斃れてしまうのだ。
日本の兵隊が中国人女性に性的暴行を繰り返し、悪の限りを尽くす。
戦時中でも己の人間性を問う知識人梶はそういう日本兵と異なり、中国人女性を襲ったりはしない。
満州で、中国人に酷いことができない梶がシベリアに抑留され、収容所から脱走し、雪原に斃れるが、シベリア抑留でも、要領よく生き残った日本兵は無事帰国するのだ。
マレー半島で架橋を虐殺した日本兵全員が戦後の裁判で戦犯として罰せられたかどうか不明であるが、現実は冤罪で処罰されたとされている人物がいたことはメディアから伝えられているところである。
戦争における加害と被害を論じるとき、加害者と被害者が別々になることがほとんどだということにも理解し難い憤りを感じざるをえない。
加害者となった兵士が反撃され、酷い目に遭ったなら納得であるが、現実は加害とは無縁の市民が酷い目に遭っている。
ヒロシマ、ナガサキでの被爆者がその典型的な例だといえる。
非武装の一般市民だった被爆者たちは、戦地で敵に酷いことをしたわけでもない。ところが、米国から原爆投下され、一生苦しめられことになってしまった。
被爆者からみれば、戦争の被害者ではあるが、侵略先においては、日本人は性暴力などの加害者であり、マレー半島での住民虐殺に関与した加害者の一員とされてしまう。
満蒙開拓団が1945年8月9日未明のソ連軍の侵攻によって、逃げ惑うことになった時、匿ってくれた中国人がいたことが証言されている。
助けてもらえた人は、開拓団の一員だった時、中国人に親切にしていたことで、その恩返しだと言われた云々だという。
日頃の行いが我が身に還ってくるということもある。