2025年08月09日

原爆供養塔納骨者の名前を読み上げる

 曽祖父2人が被爆者で、広島市出身の高垣慶太さん(23)(東京都)は6日午前、平和記念公園内の原爆供養塔前で、引き取り手がいないまま塔に納められた遺骨812人の名前を、仲間ら約30人と約2時間かけて一人ずつ読み上げた。「原爆で犠牲になった一人ひとりの命の重みを受け止めてほしい」との願いからだ。と8月6日の読売が伝えている。

 曽祖父2人はそれぞれ、広島と長崎で被爆した。幼い頃に祖父母から聞き、生まれる前に亡くなった2人が被爆者だったとわかってはいたが、詳しいことは知らなかった。

 広島と長崎で開業医だった二人は、「男女の見分けがつかないけが人らを治療した」と語っていた。

 進学した崇徳高校で新聞部に入部し、多くの被爆者らに取材をした。3年生だった2020年には被爆75年の特集を企画。同校の前身である旧制崇徳中で、学徒動員中に犠牲となった生徒全512人の住所と学年を掲載した。「戦争で同世代の若者が多数、命を絶たれた事実を知ってもらいたかった」

 2025年6月23日、「慰霊の日」に合わせて沖縄に行き、「平和の礎 」に刻銘された24万人余りの沖縄戦戦没者らの名前を読み上げる集いを見学した。数字で表現されることが多い犠牲者一人ひとりの人生が、戦争によって失われたことを実感した。「広島でもやってみては」と勧められた。

 原爆供養塔には約7万人の遺骨が眠り、「ヒロシマの墓」と呼ばれる。遺骨の中には身元不明のもの以外に、名前はわかるが引き取り手のない812柱があり、広島市のホームページで名簿が公表されていた。「犠牲者の数だけ悲しみがあったことや平和の尊さを考える機会になれば」と、読み上げの集いを計画した。

 供養塔を管理する団体の代表で、胎内被爆者の畑口実さん(79)も「若者の力で供養塔の存在が広く伝えられるのはありがたい」と後押ししてくれた。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、地上戦で住民の多くに犠牲者が出た沖縄を訪れたとき、感心、感動したのは平和祈念公園にある沖縄戦の戦没者、死没者の敵味方、民族という違いを乗り越え犠牲者の名前を慰霊碑「平和の礎」に刻銘していることだった。

 一般的に、敵の戦没者、死没者を祀るという考え方に行き着くには関係者に互いに戦争の犠牲者だという意識がなければありえないことである。

 沖縄県民はそもそも本土の人間から差別され、沖縄戦では本土の防波堤とされ、米軍の本土攻撃の時間稼ぎとされたため、守備隊32軍が南部に逃亡する際、軍民混在であったため、県民の犠牲者が滅茶苦茶に増えた。
 しかも、県民だけなら、米軍は降参すれば、命は助けてくれたが、日本軍は沖縄県民を盾にしたため、ガマに隠れて、米軍に投降しようとすれば、県民は日本軍に後ろから撃たれて殺された。
 ガマで赤子が泣けば、殺せと日本軍兵士に命令された。
 日本軍は県民を守る意識は全くなかったと言わざるをえない。
 満蒙開拓団の人たちが棄民として関東軍に見捨てられたのと同じことである。

 沖縄県民が立派だったのは、自分たちを守らず、道連れにした日本軍、鉄の暴風と呼ばれる艦砲射撃に守られて上陸するや、火炎放射器で情け容赦なくガマに隠れていた県民と日本軍兵士を焼き殺した米軍兵士にも、戦争が終わり、ノーサイドとなってからは恨み言を言うでなし、慰霊碑に刻銘し、死者を祀っているのである。

 さらに、沖縄県民の偉大さは、刻銘された24万有余の戦没者、死没者の名前を読み上げることで、犠牲者一人ひとりの人生に寄り添っていることだ。

 このことに触発された高垣慶太さんが原爆供養塔で引き取り手がいないまま塔に納められた遺骨812人の名前を読み上げたのは、協力した人たちも含め素晴らしい試みだった。
 エールをおくりたい。

 先の大戦後にソ連、モンゴルに抑留され、死亡した人々の名前を読み上げる追悼行事が、2024年8月23日から4日間、オンラインで行われることを以前書いている。
 8歳の小学3年生から、90歳代の抑留経験者まで約100人がこの行事に参加する。帰国を夢見ながら、異郷の地で無念の最期を迎えた人々のうち、4万6655人の氏名が読み上げられる。

 ミッドウェー海戦で敵味方なく犠牲となった人たちの名前を調べ上げた作家澤地久枝さん。
 シベリア抑留死亡者名簿を綴った村山常雄さん。
 旧ソ連・モンゴルでの抑留の死亡者5万5000人のうち、約1万5000人の身元が特定されていないことに対し、読売新聞記者として、命を賭してこの問題に取り組んだのが井手裕彦さん。
 国際政治学者で多摩大准教授小林昭菜さん(42)が日本人捕虜の数を61万T237人とロシアでの調査の結果で調べあげている。

 「生きているだけで価値がある」と個人の尊厳を訴えるれいわ新選組の山本太郎代表。日本国憲法の看板である国民主権、基本的人権より、天皇主権、国家主義の極右政党参政党が勢力を伸ばした参議院議員選挙。

 高垣慶太さんが米軍の原爆投下で犠牲となった原爆供養塔に納骨されている人たちに思いを寄せていることを知り、戦没、死没者の一人ひとりの名前、人生にこだわった先人たちのことを思いつくままに挙げてみた。

 一人の命を大切にしなかった戦前、戦中の日本。
 敗戦で手に入れた命の大切さを取り戻したからには、二度と命が粗末にされない社会でなければならない。