2025年08月05日

ヒロシマ原爆の惨禍を忘れまじ

 8月4日、クローズアップ現代 被爆80年 迫る“被爆者なき時代”を視聴することができた。

 2024年、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協。しかし、その活動の継続は困難に直面している。被爆者の数は2025年初めて10万人を下回り、解散・休止に至る被爆者団体が全国で相次ぐ。“被爆者なき時代”は確実に迫っている。つないでいかなければならないあの日の記憶…核兵器の脅威が高まる今、その意味は重要性を増す。これまで被爆者に頼り切っていた取り組みをどう受け継いでいくか。被爆80年を前にした広島から中継で伝える。

 おとなのEテレタイムマシン井上ひさし原爆を語るということ第2回わしの分まで生きて下さい 〜生者と死者の対話〜が第1回に続いて放送された。初回放送が2000年だから、今ではお宝映像だ。


 広島平和記念公園と原爆ドームの間に川があり、公園側から目の前にドームが見える位置に桑子真帆アナがポジショニングしている映像に番組スタッフの並々ならぬ決意が伝わってきた。

 2022年2月24日、21世紀のスターリン+ヒトラーこと悪魔殺人鬼のプーチンがウクライナに侵攻、侵略したばかりか、核兵器の使用をちらつかせながら、恫喝している。
 恫喝が効いたのか、被団協にノーベル平和賞が授与され、被団協の濱住治郎さんがニューヨークの国連で演説をしている。
 国連演説はともかく、被団協のノーベル賞受賞を知らない人がいることが、新潟県で核兵器禁止の書名を集めていた女性に密着取材していてわかった。

 作家井上ひさしが原爆を語ることの第1回で、自分だけ生き残った被爆者の娘が抱く後ろめたさを天国に召された父と娘との対話で描いた『父と暮らせば』の舞台演劇で紹介していた。
 第2回は、被爆死した父親が娘には自分の分まで長生きしてほしいと願う気持ちを考えた。

 現実に特攻隊の生き残りや玉砕の地から帰還した人たちは亡くなった戦友の分まで長生きしている人がいて、戦争の悲惨さを語り継いでいる。
 元特攻隊員で生き残った茶人が102歳になったとネットで知ったが、TVの人気時代劇『水戸黄門』を演じた俳優西村晃とは千、西村と呼び合う特攻隊仲間で「みんな本当は死にたくなかった」と茶人は語っている。

 被団協で活躍している知人は、胎内被爆者で、被爆者としては一番若いことになるが、それでも80歳だから、被爆者が語り継ぐことができるのも、先が知れている。被爆の事実を継承し、語り継いでいくことが求められている所以である。

 地上戦を戦った沖縄と原爆が投下された被爆地ヒロシマ、ナガサキを除けば、日本の学校教育で戦争のことを正面から教えて来たのか疑問である。
 参議院議員選挙で極右の参政党が台頭し、徴兵制を復活させ、教育勅語、治安維持法も復活させようとするだろう。
 れいわ新選組で参議院議員選挙に当選した福岡の奥田ふみよさんは学校に対する子どもたちの声に耳を傾け、教育の在り方に疑問を呈していた。
 奥田さんはれいわ新選組の非戦の考え方の人だから、米国の戦争に巻き込まれないように考えているはずだ。

 原爆投下されてから80年目の日がまもなくやってくる。
 もっと真剣に戦争に反対することを考えないと来た道を戻ってしまうかもしれない。