月に一度の映画館行き、7月は松原文枝監督のドキュメンタリー『黒川の女たち』を観てきた。
戦争の性被害を語り継ぐ被害者、満州におけるソ連軍将校に性接待に差し出された黒川村開拓団の15人の乙女たちの封印されそうになった性暴力被害を明らかにした女性たちの物語である。
岐阜県白川町の佐久良太神社境内に1982年に建立された黒川村開拓団の慰霊碑「乙女の碑」がある。
満州に渡った黒川村開拓団が1945年8月9日未明のソ連軍の侵攻で、ソ連兵や満人から略奪や性暴力を受け、このままでは、集団自決かという時、開拓団の幹部がソ連軍将校に開拓団を守ってくれるように交渉し、18歳以上の未婚の娘たち15人が性接待として差し出された。その期間は2か月に及ぶ。
女性たち15人のうち、4人が梅毒や淋病、発疹チフスなどの感染症で亡くなった。
開拓団は女性たちの犠牲のお陰で引き揚げてきたが、戦後70年以上性接待の事実は明らかにされなかった。
2013年に信州は阿智村にある満蒙開拓平和記念館で被害者の女性二人が性接待の事実を明らかにし、衝撃を与えた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、2008年から全国の慰霊碑を周っていたが、戦争で自由を奪われた人たちとして性被害者の存在に気づき、満州でソ連兵などから性暴力を受け、生憎妊娠してしまった女性が引き揚げ後、博多や佐世保などで妊娠中絶手術を受けたことを知り、2009年に手術を受けた二日市の保養所の跡地を訪れていた。
YouTubeなどで満蒙開拓平和祈念館で性接待の事実を証言した勇気ある女性安江善子さん、佐藤ハルエさんのことを知り、2018年9月19日、前年の台風だったかで運転に支障を来たしていた高山本線が復旧したことを確認し、白川町の駅からタクシーで乙女の碑を訪れ、お参りしたのである。
驚いていたのはタクシーのドライバーで、乙女の碑の詳しいことは知らない様子だった。
性接待の事実を書き、犠牲となった女性のお陰で開拓団が引き揚げて来られた事実を書いた碑文がこの年の11月18日に除幕式が行われるとはこの時は知る由もなかった。
阿智村の満蒙開拓平和記念館にも、この年の6月22日に訪れている。
首都圏の田舎町に生まれ育ち、自宅からどこにも住所を引っ越すことなく生きてきた自分にとって、満蒙開拓団は全く無縁の存在である。
アジア太平洋戦争に関心を向ける大きなきっかけとなったのは、何回となく書いている五味川純平『人間の條件』(三一書房)。主人公の梶を加藤剛が演じたTVドラマで視聴したことが大きい。
後に、梶を仲代達也が演じた映画をオールナイトで観ているが、中学生の時だったか視聴したTVドラマで、満蒙開拓団やシベリヤ抑留のことを知ったことが今日の自分に大きな影響を与えている。
二日市保養所のことは、上坪隆『水子の譜 引き揚げ孤児と女たち』(現代史出版会)を読んで大いに影響を受けた。
映画の内容は事前に学習しているから承知はしていたが、映像化してくれたお陰で歴史に刻まれた戦争の悲劇が広く伝わってよかった。
保守派、右翼と呼ばれている勢力には、不都合な真実として、歴史を捻じ曲げようとする向きがある。
ソ連が日本の敵であることは間違いないし、その後継であるロシアも無論敵になるが、だからと言って、戦争を再びしてもらっては困る。
長い年月をかけて、お互いの過去を謝罪しつつ、前向きに生きて行かなければ、戦争で犠牲となった人たちに申し訳ない。
満蒙開拓団遺族会の会長が、性接待に差し出された女性たちのことを史実として、碑文に残す決断をされたことを高く評価したい。
最後に、初めてこの事実を知った時、自分が開拓団の団長であったなら、誰かを犠牲にするということが大嫌いなため、集団自決の道を選択してしまったはず。
しかし、映画を観て、命を繋ぐ、女性たちの勇気があったからこそ、次世代に戦争を語り継げることを考え、た結果、集団自決しなくてよかったと今は思い直している。
アジア太平洋戦争における性被害、特に、満州や朝鮮半島などでの目撃証言はいくらでもあるが、被害者が名乗り出た例はほとんどない。それだけに、黒川の女たちの勇気を称えたい。